【鎌倉万歩】全成の確率。(「鎌倉殿の13人」第30話)

北条と比企の対立を乗り越えようとする頼家たち。

鎌倉に平穏が訪れようとしていた。

そんな時、頼家が病に倒れる。

(ドラマのプロローグより)

今回、また一つ首桶が増える事になった。

蹴鞠の指南役・平 知康(たいら の ともやす)が京に戻る日が近づき、
北条 時連(ほうじょう ときつら)は最後の稽古をしていた。

この時、知康から時連は「時房」と改名された。

ふとしたはずみで御所の寝殿の縁の下に鞠が転がり、知康がしゃがんで見ると、
床下に人形が置かれているのを見つけた。

折悪く、頼家は急な病に倒れている。

病床の頼家に、比企 能員は床下から回収した人形を見せた。

「突然の病、原因は、唯一心当たりは一人しかいません」
「・・・叔父上、いや、まさか」

頼家は怒りに震えるが、全成の仕業とは信じがたい。

大江 広元は、誰と決めつけるのは早計だと、一度は棚上げにした。

それから義時に会い、全成が疑われていると。さらに時政が一枚噛んでいると懸念した。

義時は、時政の関与を知っているが、関与の素振りを見せない。

義時は、近々頼家から呼び出しがかかると時政に忠告し、
「いいですか・・・、決して認めてはなりません」

能員は頼家の命によるものとして、全成の館の中を調べ、呪詛の道具を押収した。

能員は動きが早い。

「全成殿は、今や頼朝様のただ一人の弟」

義時は抗議し、能員は一歩も引かない。

「これが全成一人の仕業とは、思っていない」
「親父に伝えよ。いつでも受けて立つと」

義時は、北条館に急ぎ、時政に詰め寄った。

「ご自分のやった事がわかっているのですか!比企は一戦を辞さない構えです」

義時は、まず戦支度を整え、比企が攻めてくれば応戦する構えを見せるとする。

ほかの御家人たちは、戦いになる事、比企が勝つことを望まない。
北条が声を掛ければ仲裁に動くはずだ。

実衣には政子にかくまってもらうよう指示をした。

次に義時が声をかけたのが、三浦 義村、和田 義盛だ。
できるだけ多くの御家人の名前を集めてもらう事にした。

頼家のもとに全成の助命を求める訴状が届き、義時、能員、広元、政子が集まった。

「全成殿が鎌倉殿に呪詛をかけたのは明白。焚き付けた実衣も同罪」

能員が大声で非難した。

加えて頼家の後ろ盾は比企だと強調した。

「もう、良い!」

頼家は政子に免じて、実衣の罪は問わないが、全成は許せない。

「全成の首は取らぬが、流罪じゃ」

全成は宿老の一人、八田 知家(はった ともいえ)が収める常陸に送られる事になった。

宿老たちが御家人の所領について再配分の評議が始まった。

これは頼家の意向によるものだ。

御家人たちから不服の申立てがあがった。

「所領の少ない御家人は喜び、所領を多く抱える御家人からは文句が出て当然」

義時は頼家の考えが理解できない。忠誠を試しているのだろうか。

能員は御家人の考えを頼家に訴えるが、頼家はこれを拒んだ。

「ならば、比企の上野の所領を近隣の御家人に分け与える」
「わしに忠義が尽くすのならば、出来るはずじゃ。宿老が自ら土地を分け与えれば、他のものも従うはずだ」

この頼家の言葉に、能員は怒りに目がくらんだ。

そこで能員は常陸に流された全成のもとへ向かった。

「実は、実衣殿が危うい」

能員は頼家の怒りが大きいかを全成に吹き込んだ。

実衣を守るようにと、温情を与えるように呪詛の道具を手渡した。

全成は、その呪詛の道具を受け取った。

八田の家人の監視により、ことはすぐに発覚した。

能員がこれは謀反だと騒ぎ立てて、頼家は全盛に死罪を命じた。

常陸に流された全成は、頼家の命を受けた八田 知家によって誅殺された。

全成の斬首の時に、雷鳴が轟き凄惨な最後を遂げた。

義時は死罪の連鎖を止めるのには、能員と対決するしかないと覚悟した。

「全成殿に呪詛の道具を渡したものがいます」
「・・・私だというのか」

能員はとぼけたが、義時は裏をとっている。

「最も、鎌倉殿に死んで欲しいのは、比企殿、あなたしかない!」
「鎌倉殿に従えば、所領は大きく減る。断れば今の立場が危うい。
意のままにならない鎌倉殿は、もう用がない。そいうことだ」

義時は一気に能員を責め立てた。

仮に頼家亡き後、長男の一幡が鎌倉殿になれば、武士の頂に立つ。

「どうだ、小四郎、わしに力を貸さないか」
「お断りします。鎌倉殿のもとで、悪い根を断ち切るのは、この私です!」

そのためには、頼家が直接、能員の考えを聞くのが良い。

二人の話し合いの場に来るように依頼し、御簾の奥には頼家が居るはずだ。

だが、呼んでみたが、頼家は現れない。

この時頼家は意識不明の状態に陥っていた。

(つづく)


【栃木県益子町】

ここは阿野 全成(あの ぜんじょう)のゆかりの地である。

頼家の謀反の疑いで下野国(現在の栃木県)に流されて、この地で討ち取られたと吾妻鏡に記されています。

【大六天の森】

益子町上大羽の大六天の森には頼朝の弟・阿野 全成とその従者の墓(五輪塔)が残っています。

名称大六天の森
所在地栃木県芳賀郡益子町上大羽

【伝・阿野全成の墓】

頼家の命により、謀反の罪に捕らえられ常陸国に流されました。

下野国で処刑されて、全成の首は阿野庄全成の館へ届けられました。

名称衣笠城址(きぬがさじょうし)
所在地栃木県芳賀郡益子町上大羽709付近

【大泉寺】

全成は駿河郡阿野(今の富士市一帯)を与えられ、阿野 全成を名乗り、この地を本拠地としました。
居館の一角に持仏堂を建てて祖先の礼を弔いました。これが現在の大泉寺です。

名称大泉寺
所在地静岡県沼津市井出744

【首かけ松跡】

全成が切られたのは、今の栃木県益子町。全盛の五輪塔が残っています。

切られた全盛の首は大泉寺まで飛んでいって、松野の枝に引掛かったという伝説が残っています。
義経の首が飛んで藤沢宿の白旗神社へ飛んできた話と同じです。

また次回もお楽しみに!

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