【鎌倉万歩】ままならぬ玉。(「鎌倉殿の13人」第29話)

鎌倉を支えてきた宿老の一角が崩れた。
バランスを失い、大きく揺れる権力の振り子。
それを止めるものは誰だ?

(ドラマのプロローグより)

御家人たちを統べていた梶原 景時(かじわら かげとき)が駿河で討ち死にした。

この先、北条と比企の衝突は避けられない。

義時はどう丸く収めていくのだろうか。

その三日後に三浦 義澄が息を引き取った。
その後、頼朝に長く仕えた安達 盛長も。後を追うように生涯を閉じた。

13人の宿老から4人が抜けた。

宿老たちの評議が勢いを失った。

「これからは、好きにやらせてもらう」
頼家が言い放ち、乳母父の比企 能員の後ろ盾を拒んだ。

北条 時政が遠江守(とおとうみのかみ)に任じられた。

源氏一門以外の御家人では時政が初めての国主就任となる。

頼家の正妻・つつじが第二子の男の子を産んだ。
善哉(後の公卿)、乳母父に三浦 義村が選ばれた。

跡継ぎをめぐり、御家人たちが色めきだった。

「嫡男は千幡が良いです。頼家の弟君、今年で9歳。母は政子、乳母夫は実衣と全成殿。
 これで決まりでしょう」

時政にりくが、力強く提案した。

それならば、頼家に早く家督を譲って欲しい。

時政とりくは、阿野 全成(あの ぜんじょう)を呼び、北条のために呪詛をしてほしいと頼んだ。

全成が誰をするのか尋ねた。

「比企・・・」
と時政が言い、

「鎌倉殿」
とすかさず、りくが訂正した。

その頃、坂東は台風による大きな被害を受けて、百姓たちは不作に苦しんだ。

何も対策を打たずに蹴鞠に興じている頼家の目に頼時が進み出た。

「ほかにやることがあるのではないでしょうか」
「これは遊びではない」

頼家は気分を害して切り返した。

北条 時連(ほうじょう ときつら)はヒヤヒヤして見ている。

その夜、義時は伊豆の領地へ赴くように頼時に指示を出した。

領地の百姓たちが、借りた米を返せずに土地を捨てて逃げて行く。

「これを収めてこい。なんとかせよ」
頼時は収める自信がなく、時連が奮起させた。

「・・・なんとかします」
頼時は答えて出て行った。

頼家は景時の死後、寺社の所領争いなどを勝手に処断するなど、目に余るものがある。

これではご家人を敵に回すことになる。

その一方、頼家はつつじの部屋に入り浸り善哉と過ごす時間が多くなった。

即女のせつは、跡継は一幡でも善哉でも、どちらでもよくて、
頼家と向き合い、心を交わしたいと願っている。

せつが一途に頼家を慕う気持ちを誰憚らずに表せば、頼家も心を開くかもしれないと、
政子は励ました。

伊豆に赴いた頼時は数人の代官と大勢の百姓を前にしていた。

代官は貸した米を返さないと証文を見せた。
百姓たちは返したくとも返す米が一粒もないと訴える。

頼時は意を決し、一堂の前で声聞をビリビリと破いた。

「代わりに鎌倉から米を届けさせよう」

百姓たちにも一人一斗の米を与えると約束した。

鎌倉では頼時の裁定が評判異なった。

これを聞いた頼家は頼時に褒美を与えることにした。

新しい名前を褒美にした。
「泰時。泰は天下泰平の泰」

征夷大将軍を間近にした頼家と同じ頼と字を使っては心苦しいだろうと。
義時はこの褒美には無念の木ことがある。頼朝の頼でもあるからだ。

全成は部屋に籠り切りになった。

木人形を作り、一心不乱に呪文を唱えている。

「全成殿は呪詛をかけているのではないか」

義時は気がついた。

相手が鎌倉殿と分かると、呪詛をやめてくれと強く求めた。

翌年、頼家は征夷大将軍に任官した。

「鞠を蹴っている時が、一番落ち着く」
と、頼家は義時に鞠を渡した。

義時が鞠を頼家に返した。

「頼朝様は人を信じることをなさらなかった。
お父上を超えたいならば人を信じることから始めてはいかがでしょうか」

そこへ蹴鞠の指南番の平 知康(たいら の ともやす)がきて、
二人の会話を待って、古井戸のへりに座った。

「わしは一幡を跡継ぎにする」

頼家に決意させたのは、せつの持つ強さだった。

胸のつかえが取れた頼家は、もう蹴鞠には逃げないと言って鞠を知康へ投げた。

知康は鞠を受けたが、体制を崩して古井戸に落ちた。

義時と頼家が縄を下ろし助けようとしたが、頼家までが井戸へ落ちた。

そこへ全成が駆けつけて、頼家、知康が助けられた。

「叔父上がいてくれて命拾いしました」

全成の顔を見て、
「まるで父と話しているようです」

照れて話す頼家を全成は暖かい眼差しでみた。

帰宅した全成は御所の床下から木人形を回収した。

夜明けに御所の庭に薄灯が刺し、床下に一体、回収し忘れた木人形が浮かび上がった。

探し出したのは誰だ。

(つづく)


【神奈川県横須賀市】

【衣笠城址】

平安時代から鎌倉時代にかけて、三浦半島に勢力をもった「三浦一族」の城がありました。

城といっても石垣もなければ堀もない中世の山城。自然を上手に活かした城と言えます。

名称衣笠城址(きぬがさじょうし)
所在地神奈川県横須賀市衣笠町29-1162

【大善寺】

三浦一族の本拠地の横須賀。衣笠城の片隅にあります。

ここは義澄の時代の面影が偲ばれます。

名称大善寺(だいぜんじ)
所在地神奈川県横須賀市衣笠町29-1

【満昌寺】

創建は鎌倉時代、1194年三浦 義明(みうら よしあき)を開基として源 頼朝が建立しました。

その後、臨済宗建長寺派の禅寺として現在に至ります。
満昌寺の境内にある宝物殿には、三浦一族繁栄の礎となった三浦義明の像が安置されています。

名称大善寺(だいぜんじ)
所在地神奈川県横須賀市大矢部 1-5-10

【三浦義澄の墓(薬王寺跡)】

三浦 義澄の墓がある薬王寺は、和田 義盛が父義宗(当時の義澄)の菩提を弔うために建立しました。

明治9年に廃寺となり、現在は義澄の墓のみが残されています。

名称三浦義澄の墓(薬王寺跡)
所在地神奈川県横須賀市大矢部1-13

【近殿神社(ちかたじんじゃ)】

源 頼朝の挙兵から第三代執権北条 泰時の時代まで活躍した、三浦 義村の墓があります。
鎌倉幕府では北条氏と肩を並べる存在でした。

名称三浦義澄の墓(薬王寺跡)
所在地神奈川県横須賀市大矢部1-9-3

また次回もお楽しみに!

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