【鎌倉万歩】いざ、鎌倉。(「鎌倉殿の13人」第8話)

鎌倉農泊協議会の間宮です。
毎週日曜日の午後8時から放送されている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、
ストーリーはどんどん展開しています。

第8回のタイトルは「いざ、鎌倉」。


反乱の炎は一気に燃え広がった。

大群となった頼朝勢、様々な思惑を抱えた巨大な寄せ集めが
今、鎌倉を目指す。

例によって、主なセリフで物語を追ってみよう。

大庭勢についた畠山 重忠(はたけやま しげただ)が頼朝のもとに降伏してきた。
重忠を許すか、否か。豪族たちの意見が分かれた。

「俺たちは所詮、烏合の衆だ。俺たちは頼朝を信じて、ここにいるんだ。そうじゃねえのか」

上総 広常(かずさ ひろつね)がその場を収めて、頼朝の判断を待つことを提案した。

「味方になろうという者は、大事にせねば」

頼朝は、即座に重忠の参陣を受け入れた。

「武田信義に会って、我らの味方になるのだと説き伏せるのだ」

さらに頼朝は義時に、新しい指令を出した。

交渉の結果、あっさりと信義は頼朝の味方になることを了解した。

「平家を倒してこそ源氏の棟梁」

しかし信義は、頼朝への競争心をあらわにした。

鎌倉に戻った義時は、頼朝の横にいる僧を不思議そうに見た。
義時は初対面だったのだ。

「わしの弟じゃ」

頼朝は全成(ぜんじょう)を義時に紹介した。

全成は方位について、また占星術や易によく通じている。
頼朝は鎌倉の新しい御所の場所選びに、全成の意見を十分に聞き、
豪族の口出しによって左右されるようなことは避けたのだ。

頼朝が強い姿勢を示せば示すほど、家人ではない上総広常などは不満を覚えていた。

ある晩、豪族たちが酒を飲んでいた。

酔いが回った広常が頼朝を呼び捨てにしてしまい
これはまずいと思った三浦 義村(みうら よしむら)は「武衛(ぶえい)」という呼び方を教えた。

「武衛」とは「兵衛部」を意味し、佐殿よりも尊い呼び方になる。

「ぶえい!俺も、あんたと一緒に飲んでみたかったのだ!」

頼朝が一瞬、驚き、嬉しそうに酒を受けた。

思えば石橋山の大敗から、ひと月半の10月7日、
頼朝は3万の兵を従えて鎌倉の仮御所に入った。

梶原 景時(かじわら かげとき)は大庭 景親(おおば かげちか)を見限り、頼朝についた。

北条政子も念願かなって鎌倉入りを果たし、頼朝の妻にふさわしい服装で会いたいといった。
困った義時は、大葉方であるが梶原景時ならば協力してくれるだろうと当たってみた。

「それがしは、大庭殿とは袂を分かったところだ」

景時は着物を着て準備し、義時頼朝との仲裁を約束した。

仮御所の裏庭では縄で縛られた姿の伊東 祐清(いとう すけきよ)がいた。
祐清は伊東の館にこもった父・祐親と妹の八重の身を危ぶんでいる。

義時は義村とともに、自分の祖父にあたる祐親と八重を救うために伊豆に向かった。

(つづく)


早速、第8話のゆかりの地を訪問しました。
今回は全て鎌倉です。

地元なので、すぐに行動しました。

まずは「寿福寺(じゅふくじ)」。
頼朝の父・義朝の館があったところです。
頼朝の没した翌年、北条政子が建立しました。鎌倉五山の第三位にあたる寺です。

第3代将軍源実朝が、再三参詣しました。

寺社寿福寺
所在地鎌倉市扇ガ谷1-17-7

裏山の「やぐら」(中世の横穴墳墓)には、実朝、政子の墓と伝わる五輪塔があります。

北条政子が頼朝の墓に沿わなかった理由は、もともと頼朝の先祖は清和天皇の血筋だからと言われています。
世が世であれば京都の都で御公家の生活をしていたはず。

一方、尼将軍と言われた政子は伊豆の一豪族の娘。
もともと身分が違うとの思いから、墓地は別の場所にしました。

最近、頼朝の墓を守る地元の古老から伺った話です。
(頼朝の墓については、別の機会にしますね。)

亀ヶ谷坂切通し(かめがやつざかきりどおし)

「亀ケ谷は狭すぎる。御所は京の都のように広いところだ。大倉にする」

頼朝が第8話で言い切りました。

建長寺の大覚池にいた亀が「たまには世を見てみたい」と、この坂を登りました。
しかし、坂があまりに急すぎて登れないので引き返したそうです。
その由来から「亀返り坂」が、いつしか「亀ケ谷坂」となりました。

ここは鎌倉七口の一つ「亀ヶ谷切通」で、扇ヶ谷から山内に繋がる坂道です。
確かに御所を置くには、狭すぎますね。

名称亀ケ谷坂
所在地鎌倉市山ノ内~扇ガ谷3丁目

続いて「六浦道(むつらみち)」。
大倉の御所から朝比奈切通を超えて東京湾の六浦へ通じる道です。

鎌倉の浜にある和賀江嶋は浅瀬で、海が荒れると荷の積み下ろしが不便なため
波の静かな六浦を使うことで大事な荷を鎌倉へ運ぶことができました。

鎌倉の物流の大幹線道路だったのです。現在の「金沢街道」ですね。

名称六浦道
所在地鎌倉市雪ノ下1-12-11

最後は「大倉幕府旧跡の碑」です。

戦線小学校の端に石碑が立っています。
最近の大河ドラマブームで観光客が増えるとの思いで
地元のガイド協会が、かすんだ文字を白い塗料で文字を復元してくれました。

おかげで、はっきりと読めるようになりました。

名称大倉幕府旧跡の碑
所在地鎌倉市雪ノ下3-6-26

今後、ゆかりの地に関係して近くの観光資源の紹介や
鎌倉ときめきスタンプラリーの加盟店の紹介などもお知らせして参ります。