【鎌倉万歩】京都の義仲。(「鎌倉殿の13人」第14話)

鎌倉農泊協議会の間宮です。

「鎌倉殿の13人」第14話のタイトルは、「京都の義仲」。

義仲が一人で京へ?大丈夫なのでしょうか?


源 頼朝(みなもと の よりとも)の最大のライバル木曾 義仲(きそ よしなか)は、
北陸に勢力を伸ばしていた。
その義仲を討つべく平家の追討勢が迫ってくる。

義仲の嫡男・源 義高(みなもと の よしたか)が鎌倉入りをした。
頼朝の娘・大姫(おおひめ)の許嫁という名目だが、体の良い人質だ。

一方、義仲は平家の悪虐非道のやり方に義憤を感じ、
この年、北陸の倶利伽羅峠(くりからとうげ)に出陣して平家の追討軍を撃退した。
その勢いで京へと突き進んでいた。

平家一門は4歳の安徳天皇を連れ、三種の神器とともに京から西国へ逃れていった。
後白河法皇は、素早く比叡山に逃れていた。

「義仲に先を越されたわ!」

頼朝は歯ぎしりをした。

しかし、義仲と対面した後白河法皇は、義仲が田舎武者と知り呆れ返った。

その後、源氏一門に恩賞が下されることになり、
頼朝の前で、義時がその知らせを読んだ。

「勲功第一は鎌倉殿。第二が木曽殿第三は行家殿」

頼朝は密かに後白河法皇に文を送っていた。

「今後は朝廷の御指図の上、西は平家、東は源氏が納めるよう定められてはいかがかと」

大江 広元(おおえ の ひろもと)が、文の内容を披露した。

「そう言われたら、源氏のことは全てわしが決めていると思うではないか」

西は平家というのは方便でしかない。

義仲は後白河法皇が定めた恩賞に抗議した。

「まことに血を流し戦った家人どものために、ふさわしい恩賞をお願いしたい!」

後白河法皇は、やむなくこの恩賞は取り消した。
頼朝が悔しがったのは言うまでもない。

秋になると、京の町では木曽勢による狼藉が目立ち始めた。
義仲の手勢ではなく、攻め上がるうちに膨れ上がった寄せ集めの兵たちだった。
義仲も取り締まりに手を焼いていた。

後白河法皇は、平家討伐に腰を上げない義仲に業を煮やした。
三種の神器がないままに、孫の4歳の後鳥羽天皇を即位させる強硬手段にでた。
その上、義仲にすぐに京を出て陛下を滅ぼし、三種の神器をとりもどせと命じた。

頼朝は、この時とばかりに後白河法皇に迫り、多大な引き出物を差し出した。

法皇は返礼として、頼朝の長年にわたる流刑を解き官位を戻した。
そればかりか、東海道、東山道の軍事支配権を認めた。

東山道には義仲の信濃も含まれている

「信濃は俺の所領だ!」

この時、京では義仲と平家が和睦を結んだという噂が立っていた。

義仲は、周りの制止を振り切って、御所に押し入った。

この義仲の乱行を、後白河法皇は謀反と受け止め、
頼朝に救いを止める文を送った。

「もう猶予はない。すぐに出陣する」
と頼朝。

「すぐには、難しい」
義時はとめた。

それでは御家人たちが簡単に承諾するだろうかと。

御家人たちは頼朝が不在になった鎌倉を奥州の藤原が狙うはずだと。

藤原 秀衡(ふじわら の ひでひら)が健在なのは、文覚が祈りを怠っただからだと全成が証言し、
文覚はその任を解かれた。

三浦 義澄(みうら よしずみ)、土肥 実平(どい さねひら)、千葉 常胤(ちば つねたね)の家人は
源氏同士の身内争いで闘いをする気はなかった。

大江 広元の助言でまず先陣を立て、上洛する途上で武者を集める策に決めた。

「大将は決めてある。九郎じゃ」

御家人ではなく弟の義経を任じた。

残った御家人は、反頼朝派に力ある者が加わると頼朝に勝ち目はないという。

「つまり、上総広常殿」

義時は広元の依頼で広常にあう。

「三浦館に集まる御家人の誘いに乗って欲しい」
と頼んだ。

「どういう了見だ!」

広常は不振げに義時を見つめた。

(つづく)


今回のゆかりの地は、本当に遠くなりました。
日帰りの北陸旅行は難しいので、簡単なご紹介のみになります。

【倶利伽羅古戦場(くりからこせんじょう)】

石川県と富山県にまたがる倶利伽羅峠は、
1183(寿永2)年の源氏と平家が興亡の明暗を分けた合戦の舞台になった場所です。

中でも木曾 義仲による「火牛の計」は有名な話です。

【火牛の計】

義仲軍は夜半に谷の上から400から500頭の牛の角に松明をつけ、
四万機の軍勢とともに平家の陣に突入しました。

名称倶利伽羅古戦場・火牛の計
所在地富山県小矢部市埴生

昼間の進軍で疲れ切っていた二万余騎は、この奇襲に混乱して人馬と共に、地獄谷に突き落とされました。

【地獄谷】

角に松明を括りつけた牛がせめてきて、平家軍が谷底へと逃げ、
上からどんどん馬や人が重なり圧死しました。

深い谷は死骸で埋め尽くされて、谷川は血で赤く染まり「地獄谷」と呼ばれることになったのです。

名称地獄谷
所在地富山県小矢部市

【埴生護国八幡宮】

戦いに出る前に木曾 義仲が戦勝祈願した神社。
倶利伽羅峠の東に位置し、1300年以上の歴史を誇ります。
倶利伽羅合戦以降、「勝ち運の神」として熱い信仰を集めています。

寺社埴生護国八幡宮
所在地富山県小矢部市埴生2992

また次回もお楽しみに!