【鎌倉万歩】鎌倉殿の13人。(「鎌倉殿の13人」第27話)

鎌倉農泊協議会の間宮です。

今回のタイトルは「鎌倉殿の13人」。

まさに番組のタイトルがそのまま、今回のタイトルになりました。
今回しか使えない一度きりのタイトルですね。


権力継承の時は、あまりにも突然訪れた。

頼朝亡き後の大きな空白。

若き頼家はそれを埋めることができるのか。

(ドラマのプロローグより)

京の御所に、頼朝の訃報が届いた。

四年前に頼朝と嫡男・頼家が謁見した後鳥羽天皇は、既に上皇になっている。

「頼朝の跡目、さぞ重たかろう」

「あなたに渡したいものがあります。これは代々受け継げられるもので、上に立つものの証なのです」

政子が渡したものは、頼朝が大事にしていた父、源 義朝の髑髏だった。

鎌倉殿として頼家が初めて御家人を前に所信を表明する日が来た。

ずらりと揃った御家人を前に、
「私は父・頼朝が成し遂げたこと、また成し遂げることが出来なかったことを引き継ぐ」
「その上で、父を超える」

その直後、
「これより鎌倉殿のご判断を仰ぐときは、必ずこの比企 能員を通すようにお願い致す」
「待たれよ。その役目はこの北条 時政が引き受けた」

頼家が、
「訴えがあれば、わしが直に聞く。わしは比企や北条を特別扱いするつもりはない」
「誰であれ、力のあるものを登用していく」
「お見事でございます。頼朝様は最後まで、御家人を信じていませんでした。わたしを除いては」

景時が部屋を出る頼家にしたがって、言った。

「肝に銘じておこう」

頼家は景時に信頼を寄せ、義時には将来性ある若手の人材選びを託した。

翌二月。京において後鳥羽上皇の後見人・土御門 通親(つちみかど みちちか)の暗殺計画が発覚した。

捉えられたのは公家の一条家。
かつて頼朝が娘の大姫を嫁がせようとした一条 高能(いちじょう たかよし)だった。

源氏との関係が見過ごせずに、鎌倉が自ら処罰せよと上皇から命が降った。

義時は捕まったものの中に文覚の名を見つけた。
頼家は文覚との関わりを避けて、その裁きを後鳥羽上皇に一任した。

頼家の提案した若手御家人の勉強会で三善 康信(みよし やすのぶ)が教鞭を取っている。

さらに頼家は若者たちに蹴鞠(けまり)を習わせた。

宮廷では蹴鞠は遊びではなく、教養として位置付けられている。

鎌倉殿の前には訴状が山積みになっている。

景時が和田 義盛に変わって侍所別当になっている。
景時は和田の反論に、頼朝が認めた別当だと主張して引かない。

義時も頼家の力になりたいのだが、黙って見守るか決めかねている。

義時は景時に提案した。

これまで通り四人の文官、三善 信康、大江 広元、二階堂 行政、中原 親能が訴訟を評議し道筋をつける。
それに景時を加える五人衆という案だ。

「それが良いようだ」

景時は速やかに頼家に報告した。

そして、頼家はすぐさま、この案を受け入れた。

「なぜ、比企が入ってない」
「梶原と比企が入るならば北条も」

と。結果七人衆になった。

そして、比企と北条の力比べとなり、知らぬ間に十二人衆になった。

つまらない内輪揉めになっても困ることになる。

これを知った政子は、
「もう一人、加えたいものがいる。十三人目、それはあなただ」

政子は強い眼差しで義時に伝えた。

複雑な駆け引きがあったが、
省略すると、こんな感じで十三人が決まった。

「私は、そんなに頼りないか。私は精一杯やっている。それが気に食わぬか」
「お前は入っていないのだな、義時」

頼家は言いかけた。

義時の顔がかげったのを見て、
「己の好きな通りやれと申したのは誰だ」
「お父上のことも、そうやってお支えしてきた。頼朝様も最初から鎌倉殿ではなかった」
「鎌倉殿の新しい鎌倉を、みんなで作って行こうではないですか」

義時は言葉を尽くし、御家人への信頼を取り戻そうと努めた。

翌朝、十三人の御家人が勢揃いした。

文官の大江 広元、三善 康信、中原 親能、二階堂 行政。

侍所は北条 時政、三浦 義澄、和田 義盛、足立 遠元の北条方。

比企 能員、安達 盛長、八田 知家の比企方。

それに梶原 景時と北条 義時だ。

「父上は最後まで御家人に心を許して居らなかった。私も同じだ。景時、残念だ」

頼家はそう言って、
「紹介しておきたいものがいる、入れ!」

六人の若い御家人たちが次々に現れた。

「わしが選んだ手足となって働いてくれる者たちだ」
「新しい鎌倉を皆で築いて行こうでないか」

頼家は皮肉めいた目で義時を見て、六人の若者たちを引き連れて部屋を出た。

義時は、呆然と頼家を見送った。

(つづく)


【神奈川県鎌倉市】

【勝長寿院】

初めて知って訪れた。勝長寿院(しょうちょうじゅいん)旧跡の碑。
鎌倉時代に源 頼朝が建立した寺院で、阿弥陀山勝長寿院と称します。

鶴岡八幡宮、永福寺とともに当時鎌倉の三大寺社の一つです。

現在は廃寺となっています。

名称勝長寿院跡
所在地神奈川県鎌倉市雪ノ下4-6-20

【文覚商人の屋敷跡】

勝長寿院に分け入る小径の一角に、今回話題になった文覚の住んでいた住居跡の碑がありました。

頼朝の住居、景時の住居の真ん中あたり。
歩いてみないと分かりませんね。新発見。

名称文覚上人屋敷跡碑
所在地神奈川県鎌倉市雪ノ下4-5-1

【吾妻鏡】

「吾妻鏡」または「東艦」は鎌倉時代に成立した日本の歴史書です。
鎌倉幕府の初代将軍・源 頼朝から第六代将軍・宗尊親王(むねたかしんのう)まで六代の将軍記。

ここでは十三人の名前が書かれています。

【永福寺跡】

国指定史跡で、読み方は「ようふくじ」。この史跡は源 頼朝が建立した寺院の跡です。
発掘調査で見つかった建物の基壇や苑池などを復元して公園として公開しています。

この寺院は、頼朝が奥州平泉を攻め、戦いで亡くなった数万の兵の鎮魂のために建てました。
若き頼家は、ここで蹴鞠の祭を開いたそうです。

名称史跡永福寺跡
所在地鎌倉市二階堂209

また次回もお楽しみに!

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