【鎌倉万歩】足固めの儀式。(「鎌倉殿の13人」第15話)

鎌倉農泊協議会の間宮です。

今回の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第15話のタイトルは「足固めの儀式」。
ドラマのファンからは「神回」と言われています。

何が、どうなってしまうのでしょうか。心配ですね。


鎌倉を出陣した義経の軍勢は、近江まで進軍して京を射程に捉えた。

「法皇様の御身がこちらにある限り、義経も手出しはできまい」

義仲は言い放った。

鎌倉では頼朝の足元がぐらついている。

三浦 義澄(みうら よしずみ)の館には志を同じにする御家人が集まっていた。
頼朝の源氏から坂東の地を取り戻すための議論だった。

「足固めの儀式を行うのじゃ」

文覚(もんがく)が偽りの行事を企んでいる。
生後500日目の幼児が初めて立って歩く行事だ。

その際に万寿の身柄を押さえる。

「頼朝が御所を出るように引導を渡すきっかけになる」

梶原 景時(かじわら かげとき)がこれを頼朝に知らせようとした時、
疑っていた和田 義盛(わだ よしもり)に捕らえられた。

万寿の儀式は鶴岡八幡宮で行われる。
義時はこの日、三浦勢が大掛かりな鹿狩りを行うという話を聞いた。

(*)当時は鎌倉に鹿がいたのでしょうか?

鹿狩りと万寿の儀式が同じ日だ。

果たして三浦館は御家人たちが武装して物々しい雰囲気に包まれている。

「義高を担いで義仲と和睦する」

比企 能員(ひき よしかず)が御所に戻って三浦館に謀反はないと知らせるつもりだ。

「鹿狩りは上総介が仕切るから大丈夫だ」

広常が言った。

八幡宮に行った義時は、三浦勢から抜けた土肥実平から謀反の企てがあるとの証言を得た。

(どうにもこうにも、ややこしい状況になった)

「おそらくは八幡宮にて万寿さまを奪い、引き換えに鎌倉殿に降伏を迫るつもりだ」

広元は確信した。

頼朝は怒り、安達 盛長(あだち もりなが)を八幡宮に向かわせ、御所の警備を命じた。
坂東武者が一丸となるには、強い指導者が必要である。

「そのために鎌倉殿がおられるのです。違いますか」

義時が必死に説いた。

義時は御家人が納得したのを見届けて、三浦館に向かった。

「鎌倉殿は兵を引けば全てを許すと言った」
「そうと決まれば、解散だ」

広常は陽気に笑い、丸く収めてしまった。

この夜、頼朝は酒の宴に広常を招き慰労した。

「上総介、そなたが居るから、今のわしが居る」
「御家人なんざ、使い捨ての駒だ……お前は己の道を行け。法王様だって目じゃねえや」

広常は酔って豪語した。

義時は頼朝に今回の企てに加わったご家人たちに寛大な裁きを願った。

頼朝は合意したが、広元は異論を唱えた。

「一切お咎めがないと、頼朝の沽券に関わる」
「この際、誰か一人を見せしめとして罪を負わせるというのはいかがかと」

広元は上総介の名を挙げた。

「頼りになる者は、一番恐ろしい」

この時、義時は広元と頼朝の恐ろしさを感じた。

翌朝、御家人たちが御所に集まり、楽しげな時を過ごしている。
景時は双六の名手の広常を誘った。

突如、景時はたちを抜き、広常に斬りつけた。

「謀りやがったな」

瀕死の広常を頼朝が冷ややかな目で見ている。

義時が泣きながら駆け寄ろうとした。

「来れば、お前も斬る」
「昨夜、わしなりに別れを告げてきた」

頼朝の冷ややかな声で、義時の足が止まった。

この瞬間、広常は全てを察した。
涙に濡れた義時と目を合わせ、微笑むと絶命した。

「今こそ天下草創の時。わしの逆らう者は何人も許さぬ。肝に命ぜよ」

(*)ラストカットでの義時の赤児の表情での鳴き声が「ブエー、ブエー」と聞こえたような気がした。

(つづく)


今回のゆかりの地は、地元です。
今まで車で通過するだけの場所で、あまり気にしていませんでした。

早速調べると、神回にふさわしい大事なゆかりの地でした。

【太刀洗水】

上総国の最有力者である上総 広常の権力が高まるにつれ、頼朝の目の上の(たんこぶ)となっていきました。
その結果、謀反の疑いをかけられ、頼朝の命を受けた梶原 景時によって暗殺されてしまいました。

景時が太刀を洗ったと言われる小さな水源が、朝比奈切通に差し掛かる所にあります。
太刀洗水は朝比奈切通の岩肌から湧き出る鎌倉名水の一つです。

のんびり歩いていると、うっかり見逃すような場所にあります。
太刀洗。今まで誰を斬ったか知らなかった。呑気なものです。

ドラマでは御所で斬りつけられたとなっていますが、御所と太刀洗水は少し離れています。
一説によると景時が広常の屋敷(十二社神社の近く一帯)に赴き、酒のもてなしを受けて、
二人で双六に興じている時に、景時が広常を襲い首を取ったと言われています。

そう考えると、太刀洗水まで非常に近いので合点がいきますね。

名称太刀洗水
所在地鎌倉市十二所(朝夷奈切通付近)

【朝夷奈切通】

鎌倉七切通の一つ。
1240年(仁治元年)北条 泰時(ほうじょう やすとき)によって鎌倉と金沢・六浦を結ぶ道として造られました。

和田 義盛の三男の朝比奈 三郎義秀(あさひな さぶろうよしひで)が一夜で切り開いたという伝説から、
この名がついたと言われています。

今は新道が開かれたので、歩く人はあまりいませんが、
鎌倉時代の面影を残しているので国の史跡として保護されています。

名称朝夷奈切通
所在地神奈川県横浜市金沢区朝比奈町峠坂1番地

【熊野神社】

朝比奈切通の分岐点から、さらに山奥に登った鎌倉の境界に、ひっそりとたたずむ神社。

人影もまばらで鎌倉の雑踏を忘れ静寂に包まれます。

この熊野神社は、頼朝が鎌倉の鬼門の方位あたるこの地に
熊野三社明神を勧請したのが始まりとされています。

寺社熊野神社
所在地神奈川県横浜市金沢区朝比奈町578

【広常塔】

上総 広常は、頼朝が石橋山の戦いで敗れ、
安房に渡り態勢を整え鎌倉入りをするときに二万騎を従えた武将。

しかし、頼朝に対する傲慢な態度が災いし、
謀反の疑いをかけられて梶原 景時に暗殺されました。

金沢通りにある五輪塔が上総介 広常の墓と言われています。
金沢道の歩道橋の横に祀られています。
大河ドラマのためか新しい花がたくさん飾ってありました。

名称広常塔
所在地神奈川県横浜市金沢区朝比奈町513

また次回もお楽しみに!

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