【鎌倉万歩】宗時はどんな約束をしたのだろうか。(「鎌倉殿の13人」第5話)

鎌倉農泊協議会の間宮です。
今回は「鎌倉殿の13人」第5話についてまとめました。

大河ドラマ第5話のタイトルは「兄との約束」。
宗時はどんな約束をしたのだろうか。

今回は北条 義時(ほうじょう よしとき)と兄の宗時(むねとき)の兄弟の話が中心になっている。

第5話の物語で、頼朝は坂東の政(まつりごと)を行うと公言した。

「政の始まりは土地の配分じゃ。敵の所領を召し上げ、わしがそれを分け与える」

以仁王(もちひとおう)の令旨に基づく所信表明だった。
それに対して、大庭 景親(おおば かげちか)は頼朝の振る舞いに激怒した。

山木を倒した頼朝軍は、大雨の中鎌倉への途上、石橋山の山中に陣を構えた。
同じくして、大庭景親の軍勢も石橋山の麓に陣を敷いた。

味方の三浦軍2000騎は、酒匂川(さかわがわ)の増水で渡って来ない。
頼朝軍は兵300、大庭軍は兵3000。

激しい戦いの結果、頼朝軍は完敗した。

頼朝は義時らに守られて山中を逃げ、
大庭の兵の捜索をかいくぐって洞窟に身を潜めた。

宗時は北条館の離れに置いてきた観音像の本尊を取りに行く役目を買った。

兄の宗時は義時に、平家につくか、源氏につくかは重要な問題ではないと。

「坂東武者の世を作る。そのてっぺんに北条が立つ。
そのために源氏の力がいるのだ。頼朝の力がどうしても必要なのだ」

義時は驚き、この約束を口外はしないと肝に銘じた。

宗時は北条館へ向かう途中で、伊東 祐親(いとう すけちか)の命により、
善児(ぜんじ)が宗時の喉元を掻き切った。

頼朝の挙兵を望み、北条を引っ張ってきた宗時の最後だった。

(つづく)

私は頼朝のゆかりの地。石橋山古戦場へ向かった。

早川駅からは、徒歩でわずか2.5キロの道のりを選んだ。
早川駅に降りたが、なにも情報源になるものがない。

ネットで調べた位置を思い出し、135号線を海沿いに歩いた。

石橋山古戦場入り口の看板を見つけ、急坂を5分ほど登った。

そこに見覚えのある石碑があった。

「頼朝挙兵の地 石橋山古戦場」

こんな凹凸の激しい地勢で戦ったのでは敵も味方もわからないと。

名称石橋山古戦場
所在地小田原市石橋

さらに坂を登ると佐奈田霊社(さなだれいしゃ)があった。

この地で散った頼朝方の佐奈田 与一(さなだ よいち)を祀った神社だ。

与一の遺骸を葬ったのが与一塚。

ねじり坂は戦いの後、この畑の作物が皆ねじれてしまうということから、この名がついた。

寺社佐奈田霊社
所在地小田原市石橋420

吾妻鏡(あずまかがみ)によると、頼朝が伊豆山神社を参詣、
鎌倉への帰り道、佐奈田与一の墓を参り落涙したと記されている。

この古戦場を小一時間巡り、早川駅に向かった。

帰りざま振り返ると凹凸の激しいこの畑地は、どこにでも身を潜ませられると感じた。

土肥一族や元地方の人々によって頼朝は落ちのびることができた。

よくぞ、大場軍に見つからずに頼朝は死なずに済んだ。

この後、先日に訪ねそこなった熱海の伊豆山神社へ向かった。
伊豆の地名発祥の地でもある伊豆山神社。
次に真鶴へ。

戦いに敗れた頼朝が房州へ小舟で逃げ延びる「源頼朝船出の浜」へ向かうが、
正月に能「7騎落ち」を観賞した物語の地になる。
楽しみだ。

これは次の機会に譲る。

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