【鎌倉万歩】義時の生きる道。(「鎌倉殿の13人」第22話)

鎌倉農泊協議会の間宮です。

今回のタイトルは「義時の生きる道」。
さぁ、いよいよ義時の番がやってきました。


日本中が源氏の名の下に平定された。
しかし、その道のりには多くの別れが。
頼朝はいよいよ、上洛実現を目指す。

(ドラマのプロローグより)

義時は、突然、妻の八重を失った悲しみに沈みながら、金剛の肩を引き寄せた。

「良いか、決して鶴丸を恨んではならぬ。鶴丸を恨む暇があるなら、その分、母を慕え」

少し離れたところから、鶴丸は、言葉もなく義時と金剛を見つめている。

義時は失意から立ち直れずに、御所への出仕を休んでいる。

ある時、頼朝が訪ねてきた。
「上洛が決まった。十月に立つ。一緒に来てくれ。これは命令じゃ」

頼朝は強引で、義時は従うしかない。

頼朝は大軍を率いて上洛し、後白河上皇に拝謁した。

後白河上皇が内心の不安を押し殺した。

「新しい世のため、朝廷はかかせませぬ」
「戦いのない世にござる」

後白河上皇は手を携えることを承諾し、頼朝に全国の守護の任命と罷免の権限を与えた。

頼朝は御家人の工藤 祐経(くどう すけつね)に誘われて女流歌人たちとの歌会に行ってしまった。

はるばる京まで従ってきた御家人たちは主役の頼朝が、酒宴に顔を出さないことが面白くない。

義時は風に当たりたく表に出た。畠山 重忠(はたけやま しげただ)が義時にささやいた。

「今宵、我らとは別に集まっているものがいる」
「鎌倉殿への不信が膨らんでいるようです」

範頼と縁戚の比企 能員、土居 実平、三浦 義澄などの面々だ。
元は坂東の豪族だが、所領は一向に増えない。

「兄は安寧な世をおつくりになりたいのだ。そのためには大きな力が必要だ」
範頼は、御家人の理解を求めようとした。

鎌倉に戻った義時は、再び孤児たちの世話に明け暮れた。

政子は侍女の扮装をして義時の館を覗いた。

「・・・子供たちは今、方々に頭を下げて引き取り手を探しているところです」
「それがいいと思う。あなたには役目があるのだから。金剛をしっかり育てていくという」

政子が励まし、義時は久々に笑みをこぼした。

ある日、金剛が安達 盛長の息子・弥九郎と喧嘩をした。

「北条は他の御家人より立場が上。だからこそ慎み深くなければならぬ」
「金剛は私を守ってくれたのです」

弥九郎が鶴丸を孤児だとからかい、金剛が腹をたて弥九郎を殴ったと打ち明けた。

義時は言い訳をしなかった金剛の頭を撫でた。

後白河上皇が崩御した。

朝廷は頼朝の要求に応じ、征夷大将軍に任じた。
1192年のことだ。

(* 頼朝が征夷大将軍に就任したことで名実ともに1192年を鎌倉幕府の成立とする考えと、
1185年、国毎に守護を、荘園や公領に地頭を設置した。平家を倒したこの年を鎌倉幕府の成立とする考えもある。
しかし将軍がいるところが幕府という見方が主流で1192年成立という見解で大方の説になっている。
私は「いい国作る鎌倉幕府」が慣れている)

翌八月に政子は次男を出産した。千幡(後の実朝)と名付けられた。

乳母夫に実衣と全成が選ばれた。

ある日、比企 能員は姪の比奈を連れて頼朝の居室を訪問した。
比奈を側女に置くために、もっともらしい説明をした。

「都で通じるたしなみを身につけさせたい」

頼朝はひと目で比奈の美貌にひかれた。

この話は、すぐに政子の耳に入った。

「わしが狙っているとでも思うのか。小四郎のために決まっておるではないか」

うまく争いを避けた頼朝は、作り笑いの裏で口をへの字に曲げた。

肝心の義時は「後妻をもらうつもりはない」と。

北条 時政は、遠い親戚に当たる曽我 十郎・五郎の兄弟を家人として抱えている。
時政は曽我兄弟から打ち明けられた話に耳を疑った。

「敵討ち?工藤 祐経を討つのか」
「ぜひとも、敵を討ちとうございます」

十郎が手をついた。

あっぱれな心がけだと時政は兄弟を励ました。

「巻狩り、それは素晴らしい」

頼朝の計画に、工藤 祐経は賛成した。

「万寿の披露目の場とするのだ。我が嫡男にふさわしいところを見せつけよう」
「富士の裾野はいかがでしょう」

と、祐経が提案。頼朝は時政を仕切り役とした。

十郎と五郎は、比企の館に出向いた。

曽我兄弟の話を聞いて、能員は不思議に思った。

「敵討ちの話を、なぜ私に言う」
「狙いは工藤祐経だけではないのです」
「混乱に乗じて、頼朝を狙います。奴は我が祖父、伊東 祐経の恩を仇で返した」

それを聞いて、能員は兄弟を叱責した。

「鎌倉殿がおられたから、我らはここまでやってこられた。だいたいお前らだけで何ができる」
「北条の手を借りる手はずに・・・」
「北条が関わっているのか。時政は、そのような企みに乗るわけがない」

能員には信じられないが、義実が北条をかませた手の内を明かす。

「時政は、祐経への敵討ちしか知らねえんだ」

能員は曽我兄弟が帰っていくと、妻の道を呼んだ。

「わしの読みでは、たくらみは十中八九失敗する。」

頼朝の襲撃が失敗すれば、北条は失脚。
襲撃が成功すれば、跡継ぎの万寿は比企の手にある。

政所で仕事をしている義時のところに景時が来て聞き捨てならない情報をもたらした。

「御家人たちに再び謀反の気配がござる」
「怪しい動きをしておる者の名は曽我 十郎、五郎」
「父が関わっていると申されるのか」

義時は、嫌な予感に襲われた。

(つづく)


今回のゆかりの地は奈良です。
なかなかゆかりの地を日帰りで訪ねることが難しいので、
いつものように関連の資料により説明します。

【東大寺】

かつて南都と言われた奈良県奈良市。
後白河法皇は平家が滅亡したあと、荒れ果てた奈良の復興に精力を費やしました。

後白河法皇と源 頼朝はともに東大寺再建に支援して、
大仏開眼の供養には法皇が自ら筆をとり開眼の式を行いました。

大仏開眼は一大イベントだったと記憶しています。

【大仏殿】

東大寺の金堂です。

奈良時代に創建されてから治承と永禄に、二度の兵火に晒されました。
現在の大きさは、東西57m 南北50m、高さ49m。
世界最大級の木造建造物だと言います。

名称東大寺
所在地奈良市雑司町406-1

【法住寺】

後白河法皇の御所「法住寺殿」が、木曾 義仲の焼き討ちにあいました。

数年後、後白河法皇が崩御すると、法住寺は法皇の御陵を守る寺として江戸時代末期まで存続し、
明治時代の寺社分離により御陵と寺が分離されて現在に至ります。

【身代不動明王像】

身代わり不動明王像は、平安時代の作風とされています。

この不動像は、後白河法皇の信仰も厚かったと言われていて、
義仲による放火の際は法皇の身代わりになったと言い伝えられています。

名称法住寺
所在地京都府京都市東山区三十三間堂廻り655

また次回もお楽しみに!

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