【鎌倉万歩】諦めの悪い男。(「鎌倉殿の13人」第31話)

初代よりはるかに若くして、二代目は倒れた。

御家人同士の対立も、またはるかに大きい。

鎌倉に戦の匂いが、漂い始めている。

(ドラマのプロローグより)

源 頼家は父・頼朝と同じような重い病状で、回復は期待できそうもない。

比企 能員は頼家の側女の娘のせつが産んだ頼家の長男・一幡(いちまん)を次の鎌倉殿の座につかせるために、
朝廷との手続きを進めようとする。

義時が異を唱え、大江 広元、三善 康信、二階堂行政が同意して、当面は状況を見守ることになった。

頼家の正妻は、源氏の血筋のつつじだ。
頼朝はつつじの産んだ子を後継に望んでいた。

つまり、善哉(ぜんざい)であるが、頼朝の死が突然で、証となる文書がない。

他に源氏嫡流の血を引く候補は頼家の弟の千幡(せんまん)がいる。

一幡には比企、善哉には三浦、千幡には北条が後ろ盾となっている。

もはや、鎌倉は御家人の争いの枠を越えて、御家人たちの権力闘争の様相を呈してきた。

「鎌倉が二つに割れてしまう」

義時が危機感を高める中、京の寺で修行中の全成の嫡男が、父の陰謀に加担した罪で殺された。

「比企の指図に違いない」

先に刃を向けたのは比企だが、受けて立てば大きな戦になる。

翌8月、義時は千幡の擁立を、能員、広元ら宿老に図り、
地図を広げて意表をつく提案をする。

「鎌倉殿のお役目を、千幡様と一幡様で二つに分けるというのは。
関東二十八ヵ国の御家人は一幡様に、関西三十八ヵ国のご家人は一幡様に仕えさせます」

「鎌倉殿は一幡様お一人!」

能員は腹を立てて、地図を引き裂き、部屋を出て行った。

義時は、広元ら宿老たちに、念を押す。

「方々、拒んだのは向こうでござる」
「これで、大義名分がたった。比企を滅ぼす」

義時の決意に、政子が孫の命乞いをする。

「一幡の命は、助けてあげて」
「一幡様には仏門に入って頂きます」

義時は政子の部屋を辞すと、泰時に非情の命を下した。

「戦になったら、真っ先に一幡を殺せ!
生きていれば必ず禍の種になる。母親ともども」

敵を容赦しない。それが頼朝の教えだった。

比奈は比企館に行き、比企尼を囲んで女たちと軽い会話を交わした。

別の一室から聞こえて来た会話を、義時に文を書いた。

「比企が三浦に手を伸ばしているらしい」
「父上は義母上を利用したのですか」

泰時は義時に対して義憤を感じた。

ところで、千幡はまだ若く、北条が鎌倉を率いて行かねばならない。

父の時政が政を勤められるのか。義時は時政に尋ねた。

「ある!この先は鎌倉を守り抜いてみせる」

時政は最後にもう一度、義時が考えた案を受け入れるかどうか、能員と交渉する役目を引き受けた。

能員は比企に有利な条件を持ち出した。

「九州は千幡様、そのほかは一幡様で・・・」

時政と能員の交渉は決裂した。

翌日、北条から、能員の案を受け入れると比企に和議を申し入れた。

能員は時政を軽く見て、肝の座ったところを見せようと、丸腰で北条館へ向かった。

館に着くと、時政ら北条勢が鎧姿で待ち構えていた。

味方にしたはずの三浦 義村も北条の後詰についている。

能員は策略にはまり、逃げ場を失った。

御所にいる政子に、義時が報告に現れた。

「比企 能員、打ち取りました。これより比企館に攻め入ります」

まもなく、北条の軍勢が比企館を取り囲んだ。

能員の妻・道は、まず比企尼を逃がし、せつには一幡とともに生き延びよと立ち去らせた。

せつが廊下を逃げていくと、北条勢が立ちはだかり、せつを切り捨てた。

義時配下にいる善児が、侍女に抱かれている一幡をじっと見つめた。

御所の政子の部屋にいる義時に北条 時連(改め時房)が全て決着したと報告した。
この後は千幡が鎌倉殿になる手はずを進めていけば良い。

御所には時政、義時、広元たちが集まった。

鎌倉殿の席には政子が座し、時政が比企一族を討ち取った旨を報告した。

「残念ながら一幡様は、未だ行方しれず。
新たな鎌倉殿は千幡様のお願いすることになりました」

義時が口を開いたときに、足立 遠元(あだち とおもと)が飛び込んできた。

「一大事です。鎌倉殿が・・・」

義時、政子たちが駆けつけると、頼家が気を取り戻して布団の上で上体を起こしている。

「すぐにも一幡に会いたい。せつを呼んでくれ」

義時、政子たちは愕然とした。

(つづく)


【名越切通(なごえきりどおし

名越の切通は、鎌倉と三浦半島とを結ぶ要路の一つです。
周辺には、切通の防衛にも関係すると考えられている平場や切岸、やぐらや火葬跡などの葬送に関する遺構も多く分布敷していて、
中世都市の歴史的景観もよく残っています。

名称名越切通
所在地鎌倉市大町~逗子市小坪

【妙本寺】

妙本寺のある谷戸は、現在は比企谷(ひきがやつ)と呼ばれて、鎌倉時代には比企能員一族の屋敷がありました。

【祖師堂】

鎌倉で最大級の木造仏像建築物です。

妙本寺の先木立の山道を上り、二天門を抜けると祖師堂があります。
祖師堂は妙本寺の中心的な建物で、日蓮、日朗、日輪が祀られています。
第二祖の日朗の創建になります。

【比企一族の墓(供養塔)】

比企 能員は頼朝の信任も厚く、頼家の乳母父になり娘の若狭局が頼家の側室となった後
一幡を出産し権力を得て、北条と肩を並べるに至りました。

比企の乱により一族は滅亡しました。
妙本寺の祖師堂横に比企一族の供養塔が立てられています。

名称妙本寺
所在地神奈川県鎌倉市大町1-15-1

【頼家と一幡の墓(一幡の袖塚)】

比企 能員は時政に暗殺されて、比企館も義時らに襲撃されました(比企能員の変)。

比企一族は、一幡の住居にこもって北条軍と戦いましたが、小御所に自ら火を打ち自害したと言われています。
この戦いでまだ6歳だった一幡も焼け死んだと伝えられています。

名称頼家と一幡の墓(一幡の袖塚)
所在地神奈川県鎌倉市大町1-20-1

【蛇苦止堂(じゃくしどう)】

若狭局を祀る守護神堂です。

比企の乱で井戸に飛び込んで自害したという若狭局を祀っています。

名称蛇苦止堂
所在地妙本寺の境内

また次回もお楽しみに!

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