【鎌倉万歩】伝説の幕開け。(「鎌倉殿の13人」第16話)

鎌倉農泊協議会の間宮です。

大河ドラマが始まってから四ヶ月が経ちました。
ここまでも色々な事件が起こり、まだ頼朝も義経も存在しています。

第16話のタイトルは「伝説の幕開け」。
どんな「伝説」が待っているのでしょうか。


大きな代償を払い、頼朝は御家人たちをまとめあげた。

義経は鎌倉からの援軍を待っている。

戦が近づいている。

「金剛とは、源氏を支えるべく生まれた者に相応しい名じゃ」

頼朝は、義時の嫡男に「金剛」と名付けた。

一方、気持ちの離れた御家人たちを一枚岩にまとめるために、
時政を伊豆から呼び戻した。

「この先、御家人たちを束ねられるのは、舅殿しかおらぬだ」

時政は謹んでこれを受けた。

「しかし、この先いつ誰が的になるかもしれない」
と義時に釘を刺した。

北条が生き抜いていく道は、源氏に取り入り付き従うしかないと確信した。

後白河法皇が頼朝追討の院宣を出した。

「義仲が背後にいる」

頼朝は源 義仲 (みなもと の よしなか)を討つべく御家人たちを集めた。
そして源 範頼(みなもと の のりより)を総大将とした軍を先攻した義経の軍と合流した。

早速軍議が始まり、義時や景時が義経に戦略を告げた。

そこに、義仲の使者が文を持ってきた。

その文面には義経の軍勢を敵と見做していないのか。

「共に平家を討ち取ろう」
と呼びかけてきた。

義経は考えた。

義仲の使者の首を取って、宣戦布告すると同時に、
義経の軍勢は少ないという噂を流し、義仲を油断させた。

義仲は、その義経の策にハマった。

宇治川で義経軍と向かい合い、初めて敵勢の罠を知る。

「一旦、北陸へ戻り、再起を狙う」

愛妾の巴に言い残し、義仲は後白河法皇の御所に向かった。

「法皇様のご悲願成就、平家が滅び三種の神器が無事戻られること、心よりお祈り奉る次第」

と、法皇には会えずに、自ら別れの言葉を投げかけた。

義仲の去った後、義経の軍勢が京に入った。

後白河法皇の拝謁を許され、

「頼朝の命で、義仲を討ち取りました」
「九郎義経、これより義仲の首を落とし、そのあしで西へ向かい平家を滅ぼしまする」
「よう、申した」

法皇は義経に好感を感じた。

義仲は近江へ向かうが、そこには範頼の軍勢が待ち構えている。
覚悟を決めると、巴に嫡男・義高への文を託して落ち延びさせた。

その後、義仲の額を1本の矢が撃ち抜いた。

京を追われた平家は、福原に軍を集めた。
四方を海と山に囲まれた砦だ。

義経は予想外の場所から攻め込む戦略を思案していた。

景時は、義時の問いかけに。

「時を急ぐのも、攻め込む場所もその時に決める九郎殿の考えは理にかなっている」

御家人達は景時が義経の案を認めたことで、御家人達は不服を飲み込んだ。

義経は義時に新しい計略を打ち明けた。

「平家に源氏との戦いを避けるように法皇様から御指図いただく」

いつわりの和議だ。

義経は気の緩んだ平家を攻め込む。
勝つためには騙し打ちも構わない。

後白河法皇は、面白がってこの妙案を受けた。

義経勢は福原へと山中を進み、断崖絶壁の鵯越(ひよどり越え)に出た。

義経はさらに険しい「鉢伏山」の崖から一ノ谷まで駆け下りる策に出た。

平宗盛は一ノ谷に本陣を敷き、幼い安徳天皇を守っている。

突然、馬蹄の音と雄叫びが響き、背後からいきなり義経らの銀勢が現れた。

源平合戦最大と言われた一ノ谷の攻防が始まった。

(*)「平家物語」によると弁慶が年老いた漁師を道案内として見つけた。

漁師が鵯越は、
「人馬は超えることはできぬ難路だ」
と説明する。
義経は
「鹿はこの道を越えるか」
と聞いたら
「冬を挟んで餌を求めて鹿が往来する」
と答えた。

「鹿が通えるなら馬も通えるだろう」
と義経は案内するよう求めた。

老猟師は、自分は年を取り過ぎているので息子を紹介した。

義経はわずか七十騎で平家の一ノ谷陣営の裏手に出た。平家は山川を全く警戒していなかった。そう説明がある。

(つづく)


今回のゆかりの地は滋賀県大津市。この地で義仲は義経軍に討たれました。

滋賀は関東圏を離れる場所なので、いろいろ資料で調べてみました。

【義仲寺(ぎちゅうじ)】

JR琵琶湖線「膳所」から北へ300メートル、徒歩10分にある寺です。

源 頼朝の命で義経の軍勢に追われてこの地で壮烈な最後を遂げた木曾 義仲。

側室の巴御前がここに葬ったことに由来しています。

境内には「巴塚」もあります。

名称義仲寺
所在地滋賀県大津市馬場1-5-12

【芭蕉翁墓】

度々、この地を訪れた芭蕉は、義仲について詠んだ句があります。

義仲の寝覚の山か月悲し」 芭蕉

木曽塚の右に葬る。

「旅に病て夢は枯れ野をかけめぐる」 芭蕉

大阪の宿で最期を迎える前に詠んだ句と言われています。

周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉がたびたび訪れ、
のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、生前の遺言によってここに墓が建てられたそうです。

境内にある「芭蕉の墓」

名称芭蕉翁墓
所在地義仲寺 境内

また次回もお楽しみに!