鎌倉農泊協議会の間宮です。
今回は「鎌倉殿の13人」第6話についてと、「しとどの窟(しとどのいわや)」のご紹介です。
大河ドラマ第6話のタイトルは「悪い知らせ」。
不幸にして石橋山の戦いで敗れた頼朝は、義時らに守られて石橋山の山中を逃げ、
大庭のへの捜索を掻い潜り洞窟に身を潜めました。
梶原 景時(かじわら かげとき)は、大庭 景親(おおば かげちか)の命で頼朝の行方を捜索。
頼朝は、地元に詳しい土肥 実兵(どい さねひら)に導かれ、
湯河原の山中、「しとどの窟」へ潜んでいたのです。
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景時が岩場の影の洞窟を見ると大鎧の武者がいました。
「頼朝だ!」
一瞬はっとし見つめ合う頼朝と景時。他の兵は気づいていない様子。
景時は頼朝の絶望的な瞳を見た途端、これを機に見逃そうと決め、黙ってその場を去りました。
頼朝一行を見逃して、頼朝の窮地を救った景時。
「大庭配下の梶原景時でございます」
土肥実平の告げた名前を頼朝は記憶に留めました。
結果、その後の頼朝軍の巻き返しを見ると、景時は源氏方についています。
後に頼朝から重用されて家人たちの取りまとめ他、重要な役につくことになりました。
ドラマでは中村獅童さんが演じています。
大事な場面でありました。
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その頃、時政は義時とともに相模湾岩浦の浜辺に現れました。
そこには三浦 義村(みうら よしむら)と数人の兵の姿が。
三浦軍は酒匂川(さかわがわ)が渡れずに、遭遇した敵と闘ったあと、
居場所のわからない頼朝をここで待っていたのです。
「待っていてくれ。俺が佐殿を連れてくる」
義時が言いました。
ところが浜で待っていた時政と義村は伊東の兵に襲われ、
急遽、頼朝のために用意した舟で安房へ逃げていました。
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義村も、時政も、舟も消えた浜辺。
その後、頼朝と義時は真鶴まで歩き、土居実平の手配した小舟で海路、安房の浜に到着。
(これが、正月に鎌倉芸術館で鑑賞した「能:七騎落ち」の物語になっています)
安房の安西 景益(あんざい かげます)は頼朝を大変歓待し
この屋敷に頼朝に味方する坂東武者が一堂に会しました。
「誰か、三郎宗時を見たものは、いないか」
時政が皆を見回して言いました。
石橋山で別れたまま、いまだに宗時からは連絡がありません。
その後、仁田 忠常(にった ただつね)が、遅れて安西の屋敷にやってきて、
「敵方から逃れて北条館に隠れた際に、これを見つけた」
と言ってある物を義時に差し出しました。
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宗時が北条館に取りに戻った、頼朝の観音像。
「これが、北条館に残っていたということは…」
時政は全てを察し、義時を見つめました。
「これからは、お前が北条を引っ張っていくのだ。良いか…」
翌朝、頼朝は観音像を見ると、さまざまな葛藤が生じました。
「もう戦いはやらぬ」
頼朝は、一度は思いました。
「佐殿がいなくても、我らは平家との戦いを続けます!」
義時の気迫が、頼朝の士気を蘇らせたのです。
「ざれごとを言うな。お前たちだけで何ができる!
この戦いを率いるのは、このわしだ。他の誰でもない!」
(つづく)
ここまではテンポよく物語が進みましたね。
先日、私は早川の「石橋山古戦場」と「真鶴のしとどの窟」を歩いて訪ね、
頼朝たちが房州に渡ったという「源頼朝船出の浜」へも駆けつけました。
ところが、第6話で紹介された「しとどの窟」は湯河原にもあるということです。
どっちが本当に頼朝が隠れた窟なのでしょうか。
番組でゆかりの地として紹介されたのは、湯河原の「しとどの窟」でした。
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そういえば真鶴の「しとどの窟」には番組では触れていませんでしたね。
これは、行くしかありません。
今回は、湯河原のゆかりの地を紹介しましょう。
伊豆箱根バスが県道75号を、現場前を通過して元箱根まで走るコースです。
湯河原観光案内所に聞くと、
最近湯河原駅発元箱根行きのバス路線は廃止になったそう。
途中の奥湯河原温泉までしかバスは行きません。
いろは坂のようにクネクネ曲がった道を1時間40分も登らないと現場にはいけません。
鎌倉―ソウルの徒歩の旅では、2度ほどこのようなコースがありましたが、
もう17年も前のこと。無理はできません。
私は車で向かうことにしました。
134号線、135号線と走り、湯河原駅へと75号線に右折します。
奥湯河原温泉から右折して観光案内所で資料を頂きました。
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坂を登ります。
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8キロほど登ると「椿台」という場所へ。
そこが「しとどの窟」の入り口です。駐車して、山道を20分ほど歩きます。
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雪が溶けて地面が凍っているので、十分に注意して歩かなければ。
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谷へ降りる細い道をさらに下ります。
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ようやく資料で見た現場に到着です。
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薄暗く静かで湿りきった洞穴には多くの石仏がありました。
ここに1180年8月に頼朝がいたのです。
希望と不安を抱いて6人の家人が一緒に居ました。
地元に詳しい武者土肥実平のおかげです。
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名称 | しとどの窟(しとどのいわや) |
所在地 | 神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋 |
また次回に続きます。