【鎌倉万歩】頼朝ゆかりの地。(「鎌倉殿の13人」第6話パート2)

鎌倉農泊協議会の間宮です。
今回は、前回のブログの続編になります。

第6話で「しとどの窟(しとどのいわや)」は湯河原にあると紹介されたので、
前回はそちらを先に紹介しました。

今回のブログでは、省略した熱海の「伊豆山権現(いずさんごんげん)」と、
真鶴の「しとどの窟」、そして「船出の浜」をご紹介したいと思います。

2月9日、早川駅で降りて石橋山古戦場訪問の後に
熱海に向かい「伊豆山権現」をお参り、真鶴へ向いました。

まず第5話で紹介された熱海へ行ってみましよう。

伊豆山神社(伊豆山権現)は、かつて源頼朝が平治の乱の後
伊豆韮山(いずにらやま)に流刑されて、源氏再興を祈願した神社。

途中、「三嶋大社(三嶋権現)」もあり「二所詣」とも言われます。

鎌倉に幕府を開いた後、「箱根神社(箱根権現)」にも参詣(さんけい)し、
「伊豆山神社」「箱根神社」「三嶋大社」を参詣することを「三社詣」と言うようになりました。

頼朝と政子の逢瀬の舞台で、現在では恋愛成就の神社としても人気があります。

頼朝と政子の腰掛け石もあり、私も座らせていただきました。

寺社伊豆山神社(伊豆山権現)
所在地静岡県熱海市伊豆山708-1

元宮にもお参りしたかったのですが、山道を1時間も登るハイキングコースになっています。

元宮参りは、またの機会に譲ることにして、熱海駅へ戻ることにしました。

神社から望む相模湾の景色。伊豆大島も見えます。

夕方までに真鶴へ向かいました。
まだ時間は十分にあります。

真鶴観光案内所には、3時過ぎの閉館時間ギリギリに到着。

親切なスタッフの方に、バスを利用して真鶴半島の中央部にある「しとどの窟」と、
対極にある「岩海水浴場」方面の「船出の浜」を、短時間でめぐる方法を教えていただきました。

伊豆箱根バス「ケープ真鶴線」午後3時5分発に飛び乗ります。
なんと、これがこの日の最終便です。

6つ目のバス停「魚市場」で降りて歩き出し、目的地である「しとどの窟」に5分で到着。

真鶴駅行きの折り返しの最終バス「魚市場」3時37分発まで約30分しか見学時間がありません。

この洞窟、頼朝の頃は高さ2m、奥行きが130mありましたが
波の侵食によって幕末には奥行きが11mほどになり、現在に至るそうです。

頼朝が逃げ込んだ後、追手が窟を覗くと「巫鳥(しとど)」という鳥が急にバタバタと飛び出して
誰もいないと思い込み、追手が立ち去ったそうです。

こうして頼朝らは難を逃れました。

湯河原の「しとどの窟」に3日ほど潜み、安房に渡る船を待つ間
この「しとどの窟」に潜んだのだろうと解釈しました。

名称しとどの窟
所在地神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴

先程乗った折り返しの最終バスで真鶴駅へと戻り、
真鶴町コミュニテイーバス「岩線」で、「船出の浜」のある岩海岸行きのバスを待つことにしました。

時刻表を確認すると、次の4時10分発のバスまで20分も時間があります。

これは歩いたほうが早いと、海に向かって歩き出し
クネクネと曲がりくねった坂道を20分ほど歩くと、目的である「船出の浜」につきました。

源頼朝開帆處(みなもとのよりともかいはんしょ)【石碑】

石橋山の合戦に敗れた源頼朝が、再起を覚悟してこの浜から房州に向けて船出したとされていて、 それを記念した石碑です。

源頼朝船出の浜【案内板】

石橋山の合戦 治承4年 ( 1180年 ) に敗れた源頼朝は、箱根山中やしとどの窟などに難をのがれ、謡坂を経て、この海岸から房州(千葉)に向かって船出し、虎口を脱したと伝えられています。
船出に協力した村民たちの鮫追船(さめおいぶね) 2艘については税が免除されたといわれ、小田原北条氏によるその確認の文書が伝えられています。
海岸東の崖の下には、塩谷温博士の文による源頼朝開帆記念の碑があります。

なんと言う浜でもないですが、確かに向こうには房総半島が見えるようです。

名称源頼朝船出の浜
所在地神奈川県足柄下郡真鶴町岩

記念碑を読んでいるうちに夕方になってしまいました。

近くに、安房への小舟を準備した土肥 実平(どい さねひら)が頼朝の再起を祝い謡を舞った
「謡坂の碑」も見つけました。

(鎌倉芸術館で正月に鑑賞した「七騎落ち」の場面そのものです)

この後、第7話の安房で再起を図る話(敵か、あるいは)になったのです。

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