【鎌倉万歩】仏の眼差し。(「鎌倉殿の13人」第21話)

鎌倉農泊協議会の間宮です。

今回の「鎌倉殿の13人」のタイトルは「仏の眼差し」。
意味深なタイトルですね。


藤原 泰衡(ふじわらの やすひら)は、義経の首を差し出した。
しかし、それは頼朝の罠。

義経という武器を失った平泉は、もはや鎌倉の敵ではなかった。

(ドラマのプロローグより)

源 頼朝は鎌倉を拠点として主従の契りを交わした豪族を御家人とし、
飛ぶ鳥を落とす勢いで全国に勢力を伸ばしている。

義経の首が鎌倉へ送られた後に、頼朝は兵を集めて奥州に攻め込み、
泰衡を征伐して平泉を制圧した。

焼け残った平泉の館の広間で、頼朝の前に泰衡の首桶が届いた。
泰衡の家人・河田 次郎(かわだ の じろう)が、主人の泰衡を殺害して献上した首だ。

「恩を知れ!欲得で主を殺すとは何事じゃ」

頼朝は激怒して、即座に次郎の斬首を命じた。

「これから、大事になるのは、忠義の心じゃ」

義時の心は晴れない。
ありし日の義経の笑顔が脳裏に甦り、義経を死に追い詰めた自責の念にかられる。

頼朝の御家人、土肥 実平、和田 義盛などからも義経の死を悲しむ声が上がっている。

「景時が鎌倉殿にあんなことを言わなければ、九郎は死ななくても済んだんだ」

義時が宴から外にでると、景時が一人で飲んでいる。

「義経は英雄として語り継がれ、自分は所詮。敵役の宿命なのだろう」

景時が自嘲していった。

上洛に向けて動き出した頼朝に後白河法皇から書状が届いた。

「法皇様は奥州攻めの褒美にのぞみの恩賞を出す」と。
「さて、どうする小四郎」

頼朝は笑みを浮かべて、恩賞を辞する返事を送った。

法皇のそばで丹後局が、
「なんで恩賞を断るのでしょう」と。

「奥州攻めは、頼朝が勝手にしたことだとでも言いたいのだろう」

後白河法皇も、いう通りにしない頼朝に不満に感じた。

頼朝は法皇に頼朝追討の宣旨を出したことを気にしている。

「あれは義経に脅かされたためだ」
と法皇は弁明している。

鎌倉御所に頼朝と北条の両家が集まった。
頼朝と北条との絆は強い。

「金剛、いずれは万寿を支え、鎌倉を盛り立てるのじゃ」
「かしこまりました」
「万寿、金剛を大事にせよ」
と重ねて言った。

この年に時政とりくの間に待望の男の子が誕生した。
後の北条 政範(ほうじょう まさのり)だ。

その祝いに北条館に一族が集まった。

「義父上、つまらないものですが、納めてください。子供たちと一緒に作りました」
八重は子供たちと作った草履を時政に差し出した。

「小四郎は、ホントに良い嫁をとった」

りくは北条一族に緊張感が足りない気がしている。

「みなさん、いささかたるんでおります。近頃は比企殿ばかりが、贔屓にされている」
りくは北条の婿の重忠や、重成に奮起を即した。

このところ大姫はまじないや、魔除けに興味を持ち、
自分のことを源氏物語の葵から「葵の上」と名乗り始めている。

「葵という姫は、恨みを持った霊のせいで、早くに亡くなるのです」
大姫の言動が情緒不安定なわけを実衣は知っている。

「あちらは天下の鎌倉殿。源氏の棟梁、武士の頂にいるお方、こちらは、言われるままに非情なことをしている」
「私のせいです」

義時が天を仰いだ。

木曾 義仲の嫡男・義高を大姫の許嫁という名目で人質として預かった。
頼朝が義仲と袂を分かって、「義高を討て」という頼朝の非常な命令に従った。
大姫は、まだ心の傷が癒えていない。

数日後、時政、義時は北条の本拠である伊豆へ向かった。

時政が創建した願成就院の本堂が落成し、
奈良から運慶という仏師を招いて作らせた仏像を安置する準備が出来た。

「阿弥陀如来の出来はいかがかな」
「運慶殿は、聞きしに勝る腕前ですな」

時政は期待に胸を膨らませて言った。

「俺が運慶だ。阿弥陀如来を見たいか」
と運慶が現れた。

「阿弥陀如来は、苦しむ者を極楽浄土へ導いてくださる」
「不思議なもので、どことなく顔立ちが、ある人に似てしまって」

ある人が、誰がなのか、運慶は教えない。

八重は子供たちを連れて、鎌倉の河原に来ている。

三浦 義村も金剛と同じ年の娘を連れてきている。

義村が小用で場を外した直後、川岸から悲鳴が起こった。

八重が駆けつけると鶴丸が溺れかけて川の真ん中の岩にしがみついて泣いている。
侍女が目を離したすきに、流されたらしい。

「…千鶴」

八重の脳裏によぎったのは、頼朝との間に授かった息子・千鶴丸のことだ。

八重は、無我夢中で川に飛び込み鶴丸を抱きかかえて川岸へと戻りかけた。
慌てて助けに来た義村の手に鶴丸を預けた。

義村が鶴丸を抱えて川岸まで戻った。

振り返って川に目をやると、八重の姿は、どこにも見当たらなかった。

全成が祈祷し、皆が八重の無事を祈るが、やがて政子の元に悲しい知らせが届いた。

伊豆の願成就院では阿弥陀如来像を前に、義時たちが酒をたしなんでいる。
義時がしみじみと亜弥陀如来を見つめて言った。

「ふと、妻の顔を思い出していました。息子の寝顔をみている時の」

雲海は目を細めた。

「俺の母にも、よう似ておる」
「お母上でしたか」

運慶と語らう義時を、阿弥陀如来が見据えているかに見える。

(つづく)


【願成就院(がんじょうじゅいん)】

今回のゆかりの地は、伊豆国、韮山の願成就院です。

2月に韮山を訪ね、いろいろとゆかりの地を巡りましたが、
その日、願成就院はNHKが撮影をしていて見学ができませんでした。

改めて後日、願成就院を訪問しました。

本堂は有料で拝観できましたが、撮影禁止で運慶の作品や胎内名刹も、
写真を撮ることができませんでした。ご覧の通りです。

「吾妻鏡」によると、北条 政子の父親で鎌倉幕府初代執権の北条時政が、
源 頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のために建立しました。

寺に残る運慶作の諸仏はその3年前から造り始めており、
北条氏の氏寺として創建されたものと考えられています。

その後、時政の嫡男・義時、孫の泰時の代にかけて、
次々に伽藍は拡大したことが分かりました。

「阿弥陀如来像」

逞しく、力強い体躯で、圧倒的な重量感が溢れています。
深く刻み込まれ流れるような衣文も、さすが運慶。
縵網相の説法印を結び、激動の時代を生き抜かれなければならない、
当時の武士や民衆を救おうという強い意志を感じさせます。

名称願成就院
所在地静岡県伊豆の国市寺家83-1

【胎内名刹】

【北条時政】

【伊豆・真珠院】

三谷流シナリオでは、鶴丸を助け鎌倉の河で流されて命を落としたことになっている八重姫。

しかし、伊豆韮山の真珠院では、頼朝が政子と結ばれ他ことを知り、
八重姫は真珠が淵の渦巻く流れに悲恋の若き「命」を自ら絶ってしまったとありました。

この真珠院に八重姫は祀られています。

名称真珠院
所在地静岡県伊豆の国市中條2

大体、義時と結ばれたってほんと?三谷さん。

また次回もお楽しみに!

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