【鎌倉万歩】帰ってきた義経。(「鎌倉殿の13人」第20話)

鎌倉農泊協議会の間宮です。

大河ドラマ20話のタイトルは「帰ってきた義経」。
義経は、どこへ帰ってきたのでしょうか。


義経を迎え入れ、鎌倉の最大の脅威となった奥州平泉。

藤原 秀衡(ふじわら の ひでひら)によって保たれていた均衡が崩れようとしている。

(ドラマのプロローグより)

義経はかつて庇護されていた、奥州・平泉の藤原 秀衡を頼った。
秀衡はこの地で強い勢力を保っている。

嫡男は国衡だが、跡継は次男の泰衡であり、兄弟仲は悪かった。

頼朝にとって奥州藤原氏は平家が滅亡した今、義経もいることも加わり
最大の脅威になっている。

秋になり、病床の秀衡に最後の時が迫っていた。

「平家を倒したのは、お前だ。本当の大将は義経、お前だ。大将軍だ」
「平泉を頼む」

秀衡は義経に言い残すと、息を引き取った。

このあと奥州の動きが気になって、
「平泉に行かせてください。九郎を必ず連れて戻ります」
義時が頼朝に申し出ると、
「生かして連れて帰るな。決して直に手を出すな」
「義時、泰衡に取り入り、たきつけて九郎を討たせるのだ」

泰衡が独断で義経を討てば、頼朝が平泉を攻める大義名分が立つ。

「あくどいか・・・、あくどいのう」
頼朝は、つぶやいた。

義時は平泉へ出立した。

「義経は鎌倉殿に対して謀反を企んだ大罪人。かくまえば泰衡殿も同罪になりますぞ」
「今の九郎殿は鎌倉殿に刃向かうお気持ちはございません。お会いすればわかります」

義時は衣川館(ころもがわのたて)に行くと、義経は畑仕事に余念がない。

だが、義時を見た義経の目に、一瞬、平家と戦で見せた凄みがよぎった。

「平泉に手を出したら、決して許さない。その時は鎌倉が灰になるまで戦う!」

翌日、義時は再び衣川館に行った。

義時は、やはり畑仕事に余念がない義経をしばらく見つめて、
「静さんのことは残念でしたね」

義経の手が止まる。

「静がどうした?」

義時は続けて言った。

「静は鎌倉で捕まって取調べを受けた。
静だと疑われたが、認めなかったのは義経の子を宿していたからだ。
生まれた子が男ならば、その命はないだろう」

政子、実衣らは事情を察して静を逃がそうとしたが、
里の身内である比企 能員の妻が、静は分をわきまえない妾と言い放った。

その瞬間、静は覚悟を決めた。

「私は『静御前』でございます」

一度は偽物らしく、下手に踊って見せたが、気を取り直し、
静は都一の白拍子と言われた舞を披露し、頼朝、義時、御家人たちを魅了した。

「あなたが挙兵した時、私は覚悟を決めた。静は、その時の私と同じです」

政子は頼朝に向かって、はっきりと言った。

四ヶ月後、静は男の子を産んだ。

赤子は密かに始末されて、静は行方知れずになった。
美濃の宿で静に似た遊女を見たと噂が流れた。

義時から静の話を聞いた夜、義経は畑に佇み、怒りをぶつけて案山子を切り捨てた。

翌日、義時は泰衡に会い、義経は鎌倉への怒りが抑えきれずに
国衡と計って挙兵するだろうと忠告した。

「私は鎌倉殿に盾突くつもりはない」

泰衡へ鎌倉に敵意がないと頼朝に証明するためには、一つしか方法はないと迫った。

「九郎殿の首を取り、鎌倉殿に送り届けるのだ」
「京にいたとき、あなたを襲う手引きをしたのは私です」

ある夜、里が言った。

「あれは、お前だったのか。兄の策ではなかったのか!」

怒りのあまり義経は妻である里を刀で斬った。

義経は衣川館に義時をこっそり呼んでいた。
頼朝の指図で義時が一枚かんだ芝居だと筋書きが読めたからからだ。

「兄上は、それほど私が邪魔なのか」
「この首で平泉が守れるのなら、本望だ」

「梶原景時、あの方なら、きっとこの策の素晴らしさを分かるはずだ」

義経はいかに鎌倉を攻めるか、一部の隙もない攻略法を編み出していた。

義時も、このように攻められたらこの鎌倉は滅びたはずだと観念した。

「この策を記した文を梶原景時に渡すよう」
と義時に託し、義経は逃げ道を教えた。

壁の隙間から弁慶が立ち往生で、義経を守るために時間を稼ぐさまを楽しげに伺いみていた。

数ヶ月後に義経の首が鎌倉に届けられた。

「九郎、よう頑張ったな。一ノ谷、屋島、壇ノ浦。どのように平家を打ち倒した。
九郎、九郎・・・、直接お前から話を聞かせてくれ。すまぬ」

頼朝は義経の首桶を抱えて、嗚咽した。

(つづく)


【中尊寺金色堂】

中尊寺を造営した初代清衡をはじめとして、毛越寺を造営した二代目基衡、義経を奥州に招き入れた三代泰衡の亡骸は
金色の棺に収められて孔雀のあしらわれた須弥壇の中に今も安置されています。

名称中尊寺金色堂
所在地岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202

【毛越寺】

名称毛越寺
所在地岩手県西磐井郡平泉町字大沢58

【衣川の戦い】

「義経の指図を仰げ」という父・秀衡の遺言を破り、泰衡は500騎の兵を持って義経のいる衣川館を襲いました。
義経方は武蔵坊弁慶ら、わずか10騎の兵で防戦。
館を平泉の兵に囲まれた義経は、一切戦うことをせずに持仏堂に籠り、
正妻の里、4歳の娘を殺害したあと、自害して果てたとされています。

名称衣川
所在地岩手県奥州市および西磐井郡平泉町

【高館義経堂】

仙台藩主第四代伊達 綱村(だて つなむら)が義経を忍んで建てた義経堂があり、
中には義経の木造が安置されています。

名称高館義経堂
所在地岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所14

【白旗神社(藤沢市)】

奥州で自害した義経を祭神として祀ることから白旗神社と呼ばれています。
義経の首は腰越の浜で首実験が行われました。

名称白旗神社
所在地神奈川県藤沢市藤沢2-4-7

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