【鎌倉万歩】にわかに頼朝の周辺が動き出しました。(「鎌倉殿の13人」第3話)

鎌倉農泊協議会の間宮です。
今回は「鎌倉殿の13人」第3話について感じたことをまとめました。

1180年8月、以仁王(もちひとおう)の令旨に呼応し頼朝、時政たちが挙兵の年。

第3話、タイトルは「挙兵は慎重に」だ。
もう挙兵の話が始まるのか。

タイトルを見ると、何やら頼朝の周辺がにわかに騒がしくなってきた。

今回から物語を騒がしくする新しい登場者が、順にあげると、

平 清盛(たいら の きよもり)、

後白河法王(ごしらかわほうおう)、

安徳天皇(あんとくてんのう)、以仁王(もちひとおう)、源 行家(みなもと の ゆきいえ)、

三善 康信(みよし やすのぶ)、山本 兼隆(やまき かねたか)、

安達 盛長(あだち もりなが)、文覚(もんがく)と一気に9人が登場する。

それも、それぞれドラマの筋書きを変えていく役割なのだ。
普通は、視聴1回では、なかなか頭に入らない。
私は録画を見直して、このブログを書いている。

みなさんは、よくわからない。
来週は、見なくてもいいかなど言わずに、頑張って見ませんか。

鎌倉では、色々と盛り上がっているのですから。

鎌倉農泊協議会主催の「鎌倉ときめきスタンプラリー」など、 
鎌倉駅中心のオーバーツーリズムを避けて、腰越地区や材木座地区、長谷、七里、大船と
『分散観光』を目指しているのです。

視聴率が気になるのは、私が広告会社育ちだからかも知れません。
世帯視聴率は、第1話は17.3%、第2話は14.7%、第3話は16.2%。

話が進むにつれて、登場人物が理解されて行くのだろう。
とにかく、一年間でこれからの登場人物13人が主役なのだから。

平清盛は後白河法王と蜜月の関係を続けていたが、
そろそろその関係も終焉を迎える時が来た。

清盛は後白河法皇を幽門し、自分の幼い孫を安徳天皇として即位させた。
後白河法皇の子、以仁王は、このことに反発して源頼政(みなもとのよりまさ)と組み、
打倒平家を目的とした命令書を発した。

一方、伊豆の北条家には、頼朝と政子との間に姫が誕生した。
また、北条時政には妻(りく)が身籠るという日々を重ねている。

そんな時、頼朝の叔父・源行家を名乗る男が、以仁王が打倒平家と挙兵を知らせてきた。
「諸国の源氏も、これに応じるよう」と。

これに対して頼朝は
「以仁王様の挙兵には加わらぬことにした。源頼政郷では無理だ」
と決断した。

頼朝は義時に、
「兵を挙げるからには、この手で清盛を討つ。
わしが源氏の棟梁として采配を振るわねばならぬ」

ある晩の深夜に頼朝の夢に後白河法皇が現れた。

「一日も早くわしを救い出せ・・・清盛の首を取って、
平家を京都から追い出すのじゃ」

頼朝は金縛りになって、自分の悲鳴で目が覚めた。

物語は進んで、
義時は木簡を見て閃いた。

味方になりそうな豪族の木簡(もっかん)を調べて、それぞれが納める米の糧から、
民の数を割り出すと兵力を導き出せる。

(*)木簡(もっかん)とは短冊型に加工された木製品で、一端に切れ込みが入ったものや、先端を剣先形に尖らせたものなどがある。木簡の種類は書かれた内容で分類され、物品の出納などを記録した「文書木簡」と、物品管理のために荷札のように使用する「付札(つけふだ)」がある。

タウンニュース鎌倉版

伊豆の豪族、相模、武蔵の豪族たちが続々と味方になり、
その数三千の兵力が見込めると。

頼朝は、
「絵に描いた餅じゃ。戦いを起こす大義名分がなければ、人はついて来ぬ」

頼朝は後白河法皇が夢に出たことを思い出した。

「平家討伐を促す法皇様の密旨でもあれば」

側近の安達盛長が、時政から預かったままになっていた密旨を頼朝に差し出した。

「すぐに戦さの支度じゃ」

それを読んだ頼朝は、兵を挙げる決心をしたのだ。

(つづく)

やはり、「ゆかりの地」を少しでも訪ねないと、ブログの内容は広がりませんね。

第3話のドラマの後の「ゆかりの地」は、滋賀県大津の園城寺(おんじょうじ)。
少し遠く、蔓延防止期間でもあり、訪ねたつもりで触れてみる。

園城寺は三井寺(みいでら)とも呼ばれる源氏ゆかりの地である。

寺社園城寺(三井寺)
所在地滋賀県大津市園城寺町246

頼朝の祖先の源 頼義(みなもと の よりよし)は、この地で息子を元服させたことで、
源氏一門からは厚く信仰されていた。
当時園城寺は多くの僧兵を抱え軍事力を備えていたという。

同じ琵琶湖畔にある比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ))は平家とのつながりが強く両者は対立していた。

平家打倒の令旨を出した以仁王は源頼政と合流し奈良へと向かう。

平家の追手に追われて宇治で平家軍と戦い、
その地で以仁王と頼政は命を落とした。

平家打倒の地となった以仁王の領地を思い、
頼朝は大きな決断を行うことになる。

比叡山延暦寺は、現役時代公私共に二度訪ねたことはあるが、
近くにある園城寺は訪ねたことがない。

寺社比叡山延暦寺
所在地滋賀県大津市坂本本町4220

機会があれば訪ねたい地である。

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