【鎌倉万歩】決戦前夜。(「鎌倉殿の13人」第9話)

鎌倉農泊協議会の間宮です。

今回は、第9話「決戦前夜」。
流れから言うと「富士川の戦い(1180年)」の話になります。

大軍となって鎌倉に入った頼朝に対し、
反乱鎮圧に失敗した伊東 祐親(いとう すけちか)と大庭 景親(おおば かげちか)は、なす術もありません。
都からは追討軍が迫ってきています。


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第9話は、
頼朝の命を受けた和田 義盛(わだ よしもり)と畠山 重忠(はたけやま しげただ)が
祐親を打つために伊東に向かっているところから始まった。

北條 義時(ほうじょう よしとき)と三浦 義村(みうら よしむら)は近道を選んで、
和田、畠山より先に到着した。
祐親は既に鎧に身を固めている。

「頼朝の元で生き恥をさらす訳にはいかん」

祐親が刀を抜き、義時も仕方なく刀を抜いた。
そこへ八重が逃げ込んできた。

「八重さんは必ずお守りします。佐殿には渡しません」

義時が力強く叔父の祐親に伝えた。
結局、頼朝は祐親に

「命は取らぬ。身柄はしばし三浦にあずける」

と言い、三浦家では八重もあずかる気持ちでいたが、八重は断った。

「私を侍女として御所においていただきたいのです」

平 維盛(たいら の これもり)率いる平家の追討軍が5万という大軍勢で駿河に入った。

武田 信義(たけだ のぶよし)が単独で駿河に向かったと北条 時政(ほうじょう ときまさ)から報告された。

頼朝は、
「武田は勝ちを急いでいる」

これでは力関係が逆になると、時政を激しく怒った。

頼朝は信義と黄瀬川の陣で合流したが
頼朝の陣が寝静まった深夜に、信義は全軍を持って出陣した。

「武田は功を焦っている。つられて動いても混乱するだけ」
「ここは夜があけるまで待つ」

川辺では時政と三浦 義澄(みうら よしずみ)が対岸の追討軍を見ている。

「己が何をすべきか、よく考えろ!」

義澄は時政のこのところの体たらくに憤慨していた。
義澄が思い切り時政の頬を張り倒した。
二人は水辺に転がり込み、激しい水飛沫があがった。

近くの水鳥が驚いて飛び立った。
他の水鳥も次々に飛び立ち、数万羽の羽音が夜空に響いた。

平家は水鳥の羽音を頼朝軍の夜襲と勘違いし、あっという間に総崩れになった。

「今こそ攻め時。武田に先を越されるな!」

頼朝は叫んだ。
しかし、その意に対して坂東武者たちは戦意を感じられない。

「1日も早く、清盛の首をはねたいのじゃ」
「坂東武者にとって、大事なのは所領と一族」

時政の訴えに、頼朝は胸を打たれた。

ならば、頼朝に命を預けるものはいるのだろうか。
頼朝は孤独を感じた。

そんな時、奥州の藤原 秀衡(ふじわら の ひでひら)に身を寄せていた
弟の九郎 義経(くろう よしつね)がはるばる駆けつけた。

「兄上が兵を上げたと聞き、奥州から駆けつけました!」
「兄上のために、この命を捧げます!」

義経の一途な言葉に頼朝は感極まって、義経を抱きしめた。

(つづく)


今回のゆかりの地紹介は
頼朝と義経が出会った清水総鎮守「八幡神社」と、「横割八幡宮」です。
まずは八幡神社の対面石から。

三島から東海バスで15分。「対面石入口」バス停で下車。すぐ前が八幡神社です。

旧東海道からの鳥居をくぐると、約200mの参道があります。

この参道と公道との間は桜並木になっていて、満開の時期は素晴らしい光景になります。

鎌倉の段葛は両脇が車道になってビルに囲まれていますが、
こちらは静けさを感じる環境にありますね。

中程に源平池のあった小川があり、太鼓橋の先は鬱蒼としていて神域を感じます。

そのさきに赤い鳥居の祠(ほこら)があります。源頼朝公を祀ってある「白旗社」です。

こちらの手水舎は柿田川の湧水を引いてあり、ここで手水を使うとご利益があるそうです。

1180年10月源頼朝が富士川の戦いのために、黄瀬川八幡の地に本営を設置しました。

頼朝挙兵の支援のために、はるばる奥州から駆けつけた義経が境内で涙ながらに対面し
共に座って、平家打倒を誓いあったという記念の対面石があります。

案内板にはこう書かれていました。

 所在 清水町八幡 八幡神社境内
 治承四年(1180年)十月、平家の軍勢が富士川の辺りまで押し寄せてきた時、鎌倉にあった源頼朝はこの地に出陣した。たまたま、奥州からかけつけた弟の義経と対面し、源氏再興の苦心を語り合い、懐旧の涙にくれたという。
 この対面の時、兄弟が腰かけた二つの石を対面石という。
 またこの時、頼朝が柿の実を食べようとしたところ、渋柿であったのでねじってかたわらに捨てた。すると、後に芽を出し二本の立派な柿の木に成長し、この二本は幹をからませねじりあっていたので、いつしかねじり柿と土地の人は呼ぶようになった。

木漏れ日が差し込む静かな神社で、沼津行きの次のバスが来るまで小一時間、
たった一人、境内でゆっくり出来ました。

寺社八幡神社
所在地静岡県駿東郡清水町八幡39

余談ですが、頼朝と政子にまつわる石は他にもありますね。
鶴岡八幡宮の「政子石」、
伊豆山神社の「頼朝の腰掛け石」、
三島神社の「頼朝・政子腰掛け石」。
歩いてみて、偶然に見つけた石の数々です。

お次は横割八幡宮です。

横割八幡宮までの行き方は本来ですと、沼津駅から富士駅に移動して駅から約700mのところにあるのですが、
今回は友人と会うために、一つ手前の吉原駅で待ち合わせをしました。

友人の車に乗り込み15分ほど走ると、目的地の「横割八幡宮」に到着です。

平家が蒲原(かんばら)まで攻め寄せた時、
頼朝はこの神社に陣をとり八幡宮に戦勝を祈願しました。

その夜にドラマの通り、水鳥の羽音に驚き平家は退散したのです。
頼朝は歓喜して、よろこびの島「賀島(かしま)」と名付けたと言われています。

鏃(やじり)が横割神社に奉納されたのですが
おそらく、この本殿の中にあるのでしょう。

以後、賀島を中心に村ができ、社地ができるにつれて村割をしたので
「横割」と言う地名になったと碑には書いてありました。
土地を一定期間ごとに適切に分割する「地割」の制度が由来だそうです。

寺社横割八幡宮
所在地静岡県富士市横割2-3-35

もう一つ忘れていけない記念碑があります。「平家越 (へいけごえ)」です。
平家が水鳥の羽音を夜襲と思い込み一気に退散した場所がここです。

現在の富士川は西に6キロほど離れていますが、
江戸時代の治水事業で川筋が西へ移ったのですね。

名称平家越
所在地静岡県富士市新橋町11

友人の車のおかげで、ほど近い現場も見学できました。

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