鎌倉農泊協議会の間宮です。
今回は「鎌倉殿の13人」第4話に関わるゆかりの地を訪ねました。
第4話のタイトルは「矢のゆくえ」。
源 義時(みなもと の よしとき)は源 頼朝(みなもと の よりとも)と共に、新しい世を求めて打倒平家へ。
坂東のため、愛する人のために戦いが始まった。
– 挙兵は17日 –
17日には三島明神の祭が催される。
祭の日は敵方の警備が手薄になり、襲撃には絶好の時になる。
相手は山木 兼隆(やまき かねたか)と堤 信遠(つつみ のぶとう)で、
打倒平家の相手としてはうってつけの人物だ。
「三島明神の祭の日に山木兼隆は、本当に館にいるのだろうか」
頼朝は疑心暗鬼で襲撃するか迷った。
一方、八重(やえ)は
「山木が足を痛めて、今夜は外出せずに館にいる」
その情報を信じた。
情報の真偽を確認した八重は、北条館に渾身の力で矢を放った。
(この辺が三谷幸喜さんの脚本でうまいところだ。
八重の館から狩野川を越えて、北条館まで矢が飛ぶわけがない。)
その矢には白い布が巻いてあった。
以前、八重と会いたい時には音無神社の木の枝に白い布を巻いていた。
それを思い出し、頼朝は八重の気持ち受け止めた。
もう敵も味方もない。それが八重の気持ちだった。
「一同!山木が館にいる。山木が首、挙げて参れ!!」
頼朝が兵たちに命を下した。
(つづく)
毎回番組の終わりに、「鎌倉殿の13人」のゆかりの地が紹介される。
今回は第2話で触れていた「三嶋大社」を訪ねてみた。
藤沢からJRで熱海、三島と約2時間の旅だ。
人混みを避けるため、通勤客のいない時間帯ガラガラの電車で三島へ向かった。
駅前の観光案内所で資料をいただいた。
駿豆線沿線散策MAPだ。
駿豆線の公式サイトでも確認することができる。
今回は3回目の三島だ。
1回目は鎌倉からソウルへの徒歩の旅の2日目。
新聞記事を読んで、ぜひ三島で会いたいというHさんという方。
夕食に有名な鰻屋さんでご馳走になり、旅の話を聞いてくれた。
2回目は3月9日、ソウル仲間と徒歩の旅の出発記念日歩き。
箱根神社から徒歩で三島まで歩く計画だったが
その日は箱根神社はおりからの雨模様、一寸先が見えない霧の中
徒歩を断念してバスで三島へ向かった。
このときは三嶋大社を、時間をかけてお参りした。
3回目はゆかりの地を訪ねるのがテーマだ。
頼朝の旗揚げ。三嶋大社百日祈願の伝承を辿る。
本殿では、ちょうど節分の豆まきをしていた。
寺社 | 三嶋大社 |
所在地 | 静岡県三島市大宮町2丁目1-5 |
厄除け豆をいただいて、妻塚観音像(さいづかかんのんぞう)、間眠神社(まどろみじんじゃ)、
願成寺(がんじょうじ)を訪ねる。
頼朝が源氏再興を祈願した伊豆国一宮。
韮山の蛭ケ島(ひるがしま)から三嶋大社までの距離は2里(約8km)ある。
頼朝の百日祈願は有名だ。
鳥居の奥には安東盛長(あんどうもりなが)警備の松がある。
毎暁、蛭ケ島よりの日参する頼朝を、ここで警備したと伝えられる。
庭の中に頼朝、政子の腰掛け石も見つけた。
参道の左右に池があり、鶴岡八幡宮の源氏池、平家池に似ている。
観音像のあるこの辺は三島神社の境内で、大社の参道になる。
寺社 | 妻塚観音像(妻塚観音堂) |
所在地 | 静岡県三島市東本町1丁目13 |
山木兼高は平家の命により大庭 景親(おおば かげちか)に、
密かに頼朝を殺すことを命じた。
景親の妻は頼朝を助けることを懇願するが聞き入れてくれなかった。
ある日、景親は女の着物を着た頼朝らしい姿を見つけて、
「女に化けるとは卑怯者」
と斬りつけた。
それは、なんと頼朝の身代わりになった妻だった。
景親は悲しみ、その地に塚を建て菩提(ぼだい)を弔った。
頼朝が源氏再興を願い三嶋大社へ百日祈願の途中、
路傍の祠(ほこら)の松の下で仮眠をとったところから名付けられた間眠神社。
鳥居にかかる大注連縄は、北条の地との縁により現在でも韮山・長崎から、
毎年奉納されている。
寺社 | 間眠神社 |
所在地 | 静岡県三島市東本町2丁目11-35 |
願成寺は、頼朝の百日祈願の時に宿所になったところだ。
寺社 | 願成寺 |
所在地 | 静岡県三島市川原ケ谷18 |
参道の両側に山門の代わりに植えたとも言われる
樹齢300年以上のクスノキが繁り私の天然記念物に指定された。
午前11時ごろから三島を散策し、次の訪問地である伊東へ向かう。
伊東での出会いはまたの機会に。