恐るべき早技で比企を滅ぼした北条。
千幡を鎌倉殿とする新体制が生まれる。
しかし、そこには既に、大きな亀裂が入り始めている。
(ドラマのプロローグより)
源 頼家は、目を見張るほどの回復力を見せている。
義時、時政ら北条一族は、今後どうするか、
誰が頼家に事実を明かすか、政子を囲んで混迷している。
頼家は、何も知らずに見舞いに来た時政、時房に聞く。
「せつに会いたい。なぜ顔を出さぬ」
時房は、流行り病と誤魔化した。
さらに一幡も乳母父の比企 能員も流行り病と苦しい言い訳をする。
いぶかしんだ頼家は、比企館に行くと言い出し、
病み上がりの体には無理だと時政は強引に引き留めた。
政子にとってせめての救いは、一幡が生きていることだ。
ところが義時は、比企討伐の混乱の中で一幡は死んだと言う。
政子は嘘だと見破った。
義時は最初から、政子の助命懇願を聞き入れる気持ちはなかった。
「一幡様に、居てもらっては困るのです」
義時がとった北条と鎌倉を守るための手段だ。
事によっては頼家の命まで奪われる。
危ぶんだ政子は、頼家に会って真実を告げる決意を固めた。
「誰もがあなたは助からないと思った。・・・比企の一族は館に火を放ち、命を断ちました」
「まやかしに決まっている。北条の奴らだ」
頼家は泣き崩れ、政子は
「善哉は無事だから安心してくれ」
と切願した。
頼家は承服しない。
素朴な和田 義盛、律儀な仁田 忠常を呼び、能員が討たれたのは時政の指図だったと確かめた。
そして時政の首を取れと命じた。
義盛は迷った後、北条館を訪れ、時政に全てを包み隠さず話した。
京の後鳥羽法皇から千幡を征夷大将軍に任ずる宣旨が届き、
「実朝」と言う名前が与えられた。
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義時は泰時から、一幡を生かしてかくまっていると事実を打ち明けられた。
善児は一幡に情を感じて、義時の殺せの命を受けることができない。
だが、今や北条は実朝を擁して、一幡に情けを掛けるにはいかない。
義時は帰宅すると、妻の比奈が離縁を申し出た。
出自の比企を滅ぼす手助けをして、傷心は癒えることはないと言う。
「頼家様には鎌倉を離れていただくしかない」
義時は政子に理解を求めた。
「伊豆の修善寺で仏の道を極めていただくしかない」
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頼家はわずかな家人を伴い。籠に乗り込み、修善寺へと出立した。
御所では三代将軍・源 実朝が誕生していた。
頼家の正妻・つつじと嫡男の善哉は三浦 義村の庇護の元、とある寺で暮らしている。
その境内で、善哉がひとりで遊んでいると、目の前に薄汚れた老婆が現れた。
「善哉様でございますね。あなたこそが次の鎌倉殿になるべきお方。北条を許してはなりませぬ!」
比企尼の変わり果てた姿だった。
(つづく)
【神奈川県鎌倉市】
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源 頼朝は前には海、三方に山に囲まれた鎌倉市を幕府の中心地に置きました。
鶴岡八幡宮など「古都保存法」で守られています。
【吾妻鏡】
鎌倉時代に成立した日本の歴史書。
鎌倉幕府の源 頼朝から第6代将軍宗尊親王まで6代の将軍記と言う構成で、幕府の業績が編年体で記されています。
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「吾妻鏡」は北条氏が編纂に関わるために、北条氏の正当化を目的とした曲筆が多く、
慎重な受け止めも必要になってきます。
【極楽寺】
北条 重時が当時は地獄谷と呼ばれていた此処に極楽寺を移しました。
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現実には死骸が遺棄されたり、行き場を失った者たちが集まったりしていました。
そのために此処に極楽寺が建てられたのです。
北条 重時は義時の三男で、北条 泰時(三代執権)の弟に当たります。
【施薬院】
極楽寺の古絵図を見ると、往時の境内には施薬院などの施設があり、
医療、福祉施設としての役割も果たしていたことがわかります。
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名称 | 極楽寺 |
所在地 | 神奈川県鎌倉市極楽寺3-6-7 |
また次回もお楽しみに!