【鎌倉万歩】禍の種。(「鎌倉殿の13人」第32話)

恐るべき早技で比企を滅ぼした北条。

千幡を鎌倉殿とする新体制が生まれる。

しかし、そこには既に、大きな亀裂が入り始めている。

(ドラマのプロローグより)

源 頼家は、目を見張るほどの回復力を見せている。

義時、時政ら北条一族は、今後どうするか、

誰が頼家に事実を明かすか、政子を囲んで混迷している。

頼家は、何も知らずに見舞いに来た時政、時房に聞く。

「せつに会いたい。なぜ顔を出さぬ」

時房は、流行り病と誤魔化した。

さらに一幡も乳母父の比企 能員も流行り病と苦しい言い訳をする。

いぶかしんだ頼家は、比企館に行くと言い出し、
病み上がりの体には無理だと時政は強引に引き留めた。

政子にとってせめての救いは、一幡が生きていることだ。

ところが義時は、比企討伐の混乱の中で一幡は死んだと言う。

政子は嘘だと見破った。

義時は最初から、政子の助命懇願を聞き入れる気持ちはなかった。

「一幡様に、居てもらっては困るのです」

義時がとった北条と鎌倉を守るための手段だ。

事によっては頼家の命まで奪われる。

危ぶんだ政子は、頼家に会って真実を告げる決意を固めた。

「誰もがあなたは助からないと思った。・・・比企の一族は館に火を放ち、命を断ちました」
「まやかしに決まっている。北条の奴らだ」

頼家は泣き崩れ、政子は
「善哉は無事だから安心してくれ」
と切願した。

頼家は承服しない。

素朴な和田 義盛、律儀な仁田 忠常を呼び、能員が討たれたのは時政の指図だったと確かめた。

そして時政の首を取れと命じた。

義盛は迷った後、北条館を訪れ、時政に全てを包み隠さず話した。

京の後鳥羽法皇から千幡を征夷大将軍に任ずる宣旨が届き、
「実朝」と言う名前が与えられた。

義時は泰時から、一幡を生かしてかくまっていると事実を打ち明けられた。

善児は一幡に情を感じて、義時の殺せの命を受けることができない。

だが、今や北条は実朝を擁して、一幡に情けを掛けるにはいかない。

義時は帰宅すると、妻の比奈が離縁を申し出た。

出自の比企を滅ぼす手助けをして、傷心は癒えることはないと言う。

「頼家様には鎌倉を離れていただくしかない」

義時は政子に理解を求めた。

「伊豆の修善寺で仏の道を極めていただくしかない」

頼家はわずかな家人を伴い。籠に乗り込み、修善寺へと出立した。

御所では三代将軍・源 実朝が誕生していた。

頼家の正妻・つつじと嫡男の善哉は三浦 義村の庇護の元、とある寺で暮らしている。

その境内で、善哉がひとりで遊んでいると、目の前に薄汚れた老婆が現れた。

「善哉様でございますね。あなたこそが次の鎌倉殿になるべきお方。北条を許してはなりませぬ!」

比企尼の変わり果てた姿だった。

(つづく)


【神奈川県鎌倉市】

源 頼朝は前には海、三方に山に囲まれた鎌倉市を幕府の中心地に置きました。
鶴岡八幡宮など「古都保存法」で守られています。

【吾妻鏡】

鎌倉時代に成立した日本の歴史書。
鎌倉幕府の源 頼朝から第6代将軍宗尊親王まで6代の将軍記と言う構成で、幕府の業績が編年体で記されています。

「吾妻鏡」は北条氏が編纂に関わるために、北条氏の正当化を目的とした曲筆が多く、
慎重な受け止めも必要になってきます。

【極楽寺】

北条 重時が当時は地獄谷と呼ばれていた此処に極楽寺を移しました。

現実には死骸が遺棄されたり、行き場を失った者たちが集まったりしていました。
そのために此処に極楽寺が建てられたのです。

北条 重時は義時の三男で、北条 泰時(三代執権)の弟に当たります。

【施薬院】

極楽寺の古絵図を見ると、往時の境内には施薬院などの施設があり、
医療、福祉施設としての役割も果たしていたことがわかります。

名称極楽寺
所在地神奈川県鎌倉市極楽寺3-6-7

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