修善寺に追われた頼家の運命はいかに。
源 実朝が三代鎌倉殿となった。
あまりに歪な代替わり。
源氏の棟梁を巡る駆け引きが、再び始まろうとしている。
(ドラマのプロローグより)
鎌倉では政子の次男・源 実朝を鎌倉殿にする新体制が始まった。
若き実朝が第三代鎌倉殿に就く儀式の際、目の前にいきなり髑髏(どくろ)が現れた。
義時が実朝に見せ、御台所の政子が説明する。
頼朝の父・義朝の髑髏だ。
「頼朝さまは、挙兵の際、髑髏に誓いました。この髑髏から全てが始まった。
あなたが持っていなさい。上に立つ者の証です」
一方、失意の源 頼家は・・・。
伊豆の修善寺に追われた頼家は、
「鎌倉殿は、わしじゃ。このわしじゃ」
鎌倉では実朝の鎌倉殿について、御家人たちの会議が続く。
北条 時政が執権別棟に就任した。
時政を裏で支えるりくは、実朝の正室を京から迎えるとことを進言している。
娘婿の平賀 朝雅(ひらが ともまさ)を通じて後鳥羽上皇に願い出ると言い張った。
「武蔵は比企がいなくなった。わしがやる」
執権別当の時政がいう。
「このところ、お前の親父は、随分と張り切っている。どうも、やり口が汚ねえ」
「御家人たちは派手に権力をふるう北条を敬遠している。
調子に乗りすぎると、しっぺ返しを食うぞ」
三浦 義村の忠告を義時は相手にしない。
りくと時政は、こうした成り行きを喜んで、酒を汲み交わしている。
「国を守るために武蔵を守るのです。次には京から御台所を迎えるとしましょう」
京では後醍醐上皇が、不愉快な表情をしている。
「実朝の嫁取り。京から差し出せと行っている。誰の差し金じゃ。時政の田舎者め」
「だが、わしは実朝の名付け親じゃ、鎌倉に心して待つよう伝えよ」
比企一族を滅ぼしたのは北条と後醍醐上皇は気が付いている。
「源氏は我が忠臣。坂東の田舎者めが・・・。頼家は、どうしている」
「寂しくてたまらないと文がきております」
「頼家殿は、まだ鎌倉にご忠臣・・・どうする」
義時は御家人たちと協議している
三浦 義村が修善寺の頼家を訪ねた。
「自分を忘れぬよう、このように喧嘩を売っているのじゃ」
「頼朝さまは、石橋山で負けて、わずか1ヶ月半で鎌倉へ乗り込んだ。わしもそうする」
「必ず北条を討って、鎌倉を火の海にしてやる」
「このまま、この地で果てる事はない。鎌倉殿は、このわしじゃ」
「義村、力を貸してくれ」
三浦義村は、この頼家の願いを、簡単に断った。
頼家の鎌倉に対する恨みは強い。
義時は言い張った。
「早く手を打たなければ。鎌倉殿は、二人はいらぬ」
時政は迷って、
「頼家さまは頼朝のお子、わしの孫じゃ」
返して義時は、
「修善寺を見張れ。もし、不審な動きがあれば、その時は覚悟を決める。北条無くして鎌倉なし」
「政は争いを呼ぶ。実朝には穏やかに過ごしてほしい。早く誰かに次を・・・」
政子は願った。
「実朝には和歌をやらせてみたい」
「私は反対です」
実衣が話に加わってきた。
実朝の読書初めの儀が始まった。
講義を行ったのは源仲章。
「易経、詩経、書経、・・・論語、孝経、孟子」
以上の十三経を早口ですらすらと淀みなく説明した。
政子は頼家が好きだった干し鮑を持って修善寺へ向かった。
「尼御台に一眼でもあって欲しい」
と取り次のものが伝えた。
「あの女は母と思っていない。会いとうない」
と政子を追い返した。
頼家は北条追悼の院宣を願い出た様子で、
義時は、どうも決まりのようだという情報を受けて
「頼家様を討ち取る」
「これは謀反となります。向こうには上皇様がついておられる」
「上皇様に文を出されてみては」
「甘い!私は同じ思いでいたが、こうなった以上は、道はひとつしかない」
義時は、心に決めた。
義時は善児の館に向かった。
善児は留守だったが、そこで見つけ他ものは、兄・宗時が腰に下げていたお守り。
「なぜ、これがここに?」
義時は全てを理解した。
「答えは、一つ」
「私に善児が責められようか。兄上!」
「善児、仕事だ!」
「へえ」
義時は善児に命じた。
時房は頼家の館へ向かった。
「どうかお逃げください。生きていれば、また道が開けます」
「道などはない。いずれ、わしは殺される。座して死を待つつもりはない」
「時房、これから京からやってきた猿楽が始まる。上皇様の肝煎りだ。お前も見て行け」
頼家は時房の願いを受け止めずに、こう伝えた。
義時は、久しぶりに和田 義盛の館を訪ねた。
そこには運慶がいた。
「小四郎、何年ぶりだ」
「十五年ぶりかと」
「お前、悪い顔になったな。だがまだ救いがある。お前の顔は悩んでいる顔だ。
しかし、その迷いが救いなのだ」
「悪い顔だが良い顔じゃ。いつかお前のために仏を彫ってやりたい。良い仏ができそうだ」
頼家は京からの猿楽を楽しんでいた。
奇妙な面をつけた者が猿楽を演じている。
時房がその演技の中に分け入った。
笛吹く指が動いていない演者がいた。
面を剥がすと、その者は善児だった。
いきなり時房は刀を抜き、頼家も太刀を抜き立ち向かった。
「あんたは殺すなと言われているんだ」
善児は時房にいい、頼家を追いかけた。
善児は頼家に立ち向かった
二人の斬り合いが続いた。
一瞬の隙を見た善児を斬ったのは頼家だ。
「わしはまだ死なぬ」
その後ろから最後に頼家を斬ったのはトウだった。
源頼家、偉大なる頼朝の子。享年23歳。
トウは傷ついた善児に立ち向かい、思い切り腹を突いた。
「ずっと、この日を待っていた。父の仇!」
そしてトウは善児にトドメを刺した。
(*)現地の頼家のお墓の前の案内板では、時政の手で入浴中に暗殺されたと書かれています。
(つづく)
今回のゆかりの地は「修善寺」です。
- 地名は「修善寺」、寺名は「修禅寺」。表記は異なりますが、両方とも「しゅぜんじ」と読みます。
【修善寺】
静岡県伊豆市の修善寺。源 頼家はこの地に幽閉されて、のちに暗殺されました。
【修禅寺】
街の中心に弘法大師の創建された修禅寺があります。
【大日如来坐像】
本尊の解体修理の際、雅子のものと思われる頭髪が出てきました。
あたかも政子の思いが宿ったようです。
【指月院】
頼家のゆかりの仏殿がある。頼家の菩提を弔らうために政子が寄進したと言われています。
中には教文が収められており、政子の直筆と思われる一文も残っています。
【源 頼家の墓】
志なかばで世を去った頼家。毎年7月には御前供養が行われ、二代目鎌倉殿を偲んでいます。
名称 | 修禅寺 |
所在地 | 静岡県伊豆市修善寺964 |
また次回もお楽しみに!