鎌倉農泊協議会の間宮です。
第13話のタイトルは「幼馴染の絆」。
幼馴染って誰と誰なの。まさか!
頼朝の浮気は、御家人たちも巻き込む大騒動になった。
源平激突を目前に、鎌倉に亀裂が入ろうとした。
寿永元年(1182年)、大倉御所に叔父の源 行家(みなもと の ゆきいえ)がやってきた。
所領を要求し、義円(ぎえん)を戦死させた責任など感じていない。
頼朝は、
「金輪際、鎌倉に足を踏み入れないでいただきたい」
「わしと義仲が組んだらどうなるか」
行家は信濃の木曽を本拠とする源(木曽)義仲の名を挙げた。
義仲は頼朝に次ぐ源氏の実力者だ。
信濃から京に食料を運ぶ北陸の要地を握っているらしい。
「このままでは義仲に手柄を奪われてしまう」
頼朝は上洛を思うに任せぬ事情を抱えている。
甲斐の武田 信義(たけだ のぶよし)も義仲の動静が気になっている。
信義は鎌倉へ来て義仲が平家と組んで、鎌倉へ攻め入れるのではと。
義仲の真意を探るために、異母兄弟の範頼(のりより)が使者として向かうことになった。
頼朝の不安は不審な動きをしている奥州の藤原 秀衡(ふじわら の ひでひら)にある。
全成(ぜんじょう)が打倒秀衡の祈祷を続けているが効果がない。
頼朝は京から清盛を呪い殺した文覚(もんがく)を呼び寄せた。
早速文覚は江ノ島で全成と呪詛を競い合った。
義時は使者の範頼に付き添うことになった。
出立する前に、伊豆の江間で暮らす八重に会いに行った。
「鎌倉殿の命で信濃へ参ります」
「私は、好きなのです…。八重さんの笑っている姿が」
「いつか、八重さんに笑いながら『お帰りなさい』と言ってほしい」
思わず言ってしまった。
木曽に出発する源 範頼、義時、三浦 義村(みうら よしむら)が御所の門に揃った。
木曽行きを強く望んだにも関わらず、義経はまだ来ない。
前日に比企 能員(ひき よしかず)から紹介された娘と、うつつを抜かして寝過ごしたのだ。
源 義仲は木曽のある寺に滞在している。
「俺は鎌倉に攻め入るつもりはない」
「源氏どうしで争ってどうするのだ」
義仲の言葉に嘘はなさそうだ。
「鎌倉殿は、平家と通じていない証に人質を出すように申している」
義仲は奥に行き嫡男である源 義高(みなもと の よしたか)を伴ってきた。
「父上のためなら、どんな苦労もいとませぬ」
義高は言った。
政子は亀と直談判を行なった。
亀は身を引くと約束した。
しかし、政子は御台所として自分を磨くように助言をした。
「自分が鎌倉殿の妻として相応しいのか、よく考えなさい」
「私だって文学を学んだのよ」
義時は木曽の土産を手に八重を訪ねた。
八重が誰を慕おうと、見守っていくつもりだった。
「私と八重さんとは、幼馴染。あの頃から私の思いは変わらない」
義時の想いが八重の心に伝わったのか。
「木曽のお仕事、お疲れ様でした。お帰りなさいませ」
八重は手をつき、微笑んで言った。
(*)この二人は、一体どうなっていくの?史実にあっているの。三谷さん。
(つづく)
今回のゆかりの地は、韮山の北条寺の手前にある「豆塚神社」と、
伊豆の音無神社の隣にある「最誓寺」。
どちらも近くにありながら、時間の関係で見逃していたところでした。
「青春18きっぷ」が、もう1回分残っています。
早速、現地に向かいました。
【豆塚神社】
境内の案内板によると、創建の年代は定かではありません。
往時は江間卿と北条卿は一つの卿であり、
狩野川が中間を流れるようになり分かれてしまいました。
鎌倉時代には北条 義時が、旧霊廟を小池堀丸山からこの地に移したとあります。
寺社 | 豆塚神社 |
所在地 | 静岡県伊豆の国市北江間3 |
【守山展望台】
この展望台も時間の関係で見逃していました。
全部で400段登る山頂からは、狩野川を挟んで北条卿と蛭ケ島、山木の館跡などが展望できます。
名称 | 守山展望台 |
所在地 | 静岡県伊豆の国市寺家1204 |
【最誓寺】
伊東の頼朝と八重姫が逢瀬を重ねた「音無神社」に近接した「最誓寺」の本堂には
八重姫が奉祀したといわれる「千鶴丸地蔵尊」が安置されています。
お寺の方に事情を説明すると、本堂にあげてくれて地蔵尊の撮影を許可してくださいました。
寺社 | 最誓寺 |
所在地 | 静岡県伊東市音無町2-3 |
【日暮神社】
頼朝は八重姫との逢瀬のために日が暮れるまでここで待っていました。
寺社 | 日暮神社 |
所在地 | 静岡県伊東市桜木町1-2-10 |
また次回もお楽しみに!