鎌倉農泊協議会の間宮です。
今回はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」についてのブログです。
大河ドラマが始まった。
第1話の初回視聴率は17.3%だった。
昨年の「青天を衝け」は20.0%だった。
鎌倉での期待度から思うと、少し残念だったが、
三谷幸喜さんの脚本で、ドラマ自体、たくさんのあまり知られない人物の登場なので、
思いのほか、好調な出だしだと思うことにした。
「鎌倉殿の13人」の視聴人数は2406万人という。
私は、そのうちの一人だった。
私は歴史解説者ではないので、一鎌倉ファンとしての感想や、
番組最後のゆかりの地を、改めて見直して行きたい。
ドラマの中で気になったセリフをあげてみよう。
義時が兄の宗時から、
「八重殿は羅、嫁ぐ前にどうしてももう一度、佐殿に会いたいと申されておる」と。
その言葉を頼朝は、
「今さら会ったところで、どうなる。時の流れに逆らうものではない。わしは行かぬ」
義時に宗時に伝言を託した。
そんな中、政子は頼朝から三島明神に誘われた。
14歳から伊豆に流された頼朝が心情を語ると、
「あの方(八重)の代わりはできません。でも、私なりに佐殿をお支えしとうございます」
この時、頼朝が伊東氏から北条氏へ乗り換えた瞬間だった。
大望を持っている頼朝を支えてくれる心強い身内は北条家なのだ。
第1話のゆかりの地で鎌倉以外の伊豆も紹介されていた。
さっそく、私は伊豆の韮山にある「北条氏邸跡(円成寺跡)」が見たくて、
地域散策の最後には、北条義時夫妻が眠る「北条寺」もお参りしたく韮山へ向かった。
初めて訪ねる地だ。
鎌倉からJRで大船、熱海、三島、伊豆箱根鉄道に乗り換えて韮山まで2時間。
駅前には観光案内所も何もなく、お土産店の店員さんに聞くと、
「目の前の大河ドラマ館に行くとなんでもわかるよ」と教えられた。
踏切をわたり大河ドラマ館にいき、1冊の観光冊子をいただいた。
伊豆国市(韮山)は北条義時生誕の地である。
1時間の映像を見るように勧められたが、
実際に多くのゆかりの地があるので辞退して歩き始めた。
「蛭ケ島」(ひるがしま)に着いた。
1160年頼朝が流された地。
34歳で旗揚げするまで20年間をこのあたりで過ごした。
北条政子と結婚した地でもある。
この地は当時、沼地で蛭がたくさんいたので、この地名になった。
公園の一角に頼朝・政子の像がある。
ちょうど西を向いていて、その先には見事な富士がある。
頼朝が、当時見た富士は真っ青な空に雪をかぶって雄大な姿だった。
14歳から20年。毎年この富士を見て何を考えていたのだろうか。
次は1キロほど西へ狩野川のほとりへ向かう。
北条氏邸跡、八重を祀る真珠院、頼家の菩提のある信光寺、
吾妻鏡によると頼朝の館は、「光照寺」境内にあったという。
閻魔大王の安置されている「長徳寺」では住職が説明してくれた。
閻魔さまと天国と地獄の話を、ゆっくりと伺った。
頼朝の奥州征討の戦勝祈願で建立された「願成就院」、
願成就院は当日NHKのスタッフが大河ドラマの紹介撮影をしていて、
境内には入れなかった。
夕方に近づいてきた。
少し日脚しが伸びてきた。
ゆかりの地北条偲び日脚伸ぶ 武舟
急ぎ足で136号線を北に。
松原橋を渡り、豆塚神社を目標に南へ折れると目指す「北条寺」がある。
門前で「今日の本殿参りは終了しました」と受付係から言われた。
「鎌倉から北条のゆかりの地を散策し、最後に北条寺にお参りに来たのですが・・・」
「そうですか、どうぞ中にお入りください」と親切に言ってくれた。
「義時夫妻のお墓は、その後でお参りください。階段が97段ありますが」
本殿に上がり、一旦仕舞ったDVDを映写してくれた。
係の方が「観世音菩薩座像」「阿弥陀如来座像」の説明、
政子が寄贈したと言われる「牡丹鳥獣帳長」のゆかりも説明してくれた。
義時夫妻のお墓をお参りした頃には、陽はとっぷりと沈みかけていた。
韮山の街、2km四方を、まるで“鎌倉七福神巡り”を歩くようにぐるぐると巡った。
鎌倉では見られない北条氏のゆかりに触れることができた。
スマホの万歩計は二万歩を刻んでいた。
さぁ、これから始まる第3話が楽しみだ。
鎌倉以外の「ゆかりの地」は、蔓延防止策が解けるまでは、
しばらくはお預けになってしまう。
鎌倉市内の「ゆかりの地」は、慎重に巡ることにする。