
みんがらーばー(こんにちは)! 鎌倉農泊協議会で研修生をしています。
鎌倉の農家さんの家で暮らし始めて、数ヶ月がたちました。 朝は鳥の声で目が覚め、昼は畑で土のにおいに包まれ、夜は静かな波の音を聞きながらねむる。そんな毎日は、私のふるさとミャンマーのにぎやかな街とは全くちがっていて、とても新せんです。
でも、正直に言うと、心が少しだけ「冬」のように冷たくなる日もありました。 私の日本語は、まだ覚えたての小さな芽のようなものです。伝えたいかんしゃの気持ちや、畑で見つけたおどろきを、うまく言葉に変かんできません。相手の言っていることが半分しか分からなくて、ただわらってごまかしてしまう……。
「いつになったら、本当の友達になれるのかな」
そんなふ安をかかえていたある晴れた午後、私はこの古民家の「えんがわ」で、忘れられないまほうの時間をすごしました。
1. 家と外をつなぐ、ふしぎな場所「えんがわ」
その日、私は畑仕事の合間の休み時間、えんがわに腰を下ろしていました。 えんがわは、たたみの部屋と庭のちょうどさかいめにある、木の板のろうかです。まどを全開にすると、外の空気がそのまま家の中に流れ込んできます。
ミャンマーの家には、こんなに開放的な場所はあまりありません。外と中はかべでしっかり仕切られているのがふつうです。でも、日本のお家のえんがわは「どうぞ、入ってきてください」と世界をしょうたいしているみたいで、私はここが大好きになりました。
ぼんやりと庭をながめていると、生い茂る緑の向こうから、小さなかげが近づいてくるのが見えました。
2. おばあちゃんのザルに入った「太陽の味」
やってきたのは、近所に住んでいる農家のおばあちゃんでした。 使い込まれたエプロンに、日に焼けたやさしい笑顔。彼女は私の姿を見つけると、庭を横切って、迷いなくえんがわまで歩いてきました。
私はあわてて立ち上がり、何かていねいなあいさつをしようとしました。「こんにちは」の次は何だっけ……と頭の中で辞書をめくっている私を見て、おばあちゃんは「すわってなさい」というように手で合図し、持っていたザルを私のひざの上にポンと置きました。
中には、まだ土がついたままのキュウリと、太陽の熱をたっぷり吸い込んだ真っ赤なトマト。
「これ食べな。さっき採ったばかりで美味しいよ」
おばあちゃんは、短くそう言いました。 その声は、おどろくほどやわらかく、まるでずっと昔から私を知っている家族のようなひびきでした。私は、あんなに一生けん命に練習していた言葉をすべて忘れて、ただ、じわっと涙が出そうになるのをこらえるのに必死でした。
言葉は完ぺきに分からなくても、その一言に込められた「あなたはここで頑張っているね」「元気にすごしてね」という温かい温度が、私の心に直接流れ込んできたからです。
3. 鎌倉に息づく「おすそわけ」の心
おばあちゃんは私の隣に「よっこいしょ」とすわり、農家のお母さんが持ってきてくれた冷たい麦茶を一緒に飲みました。
私たちは、長い時間、ただ並んですわっていました。 時々、おばあちゃんが庭の花を指差して「もうすぐ咲くね」と言ったり、私が不器用な日本語で「とてもきれいです」と答えたり。
でも、ほとんどの時間は、風の音や鳥の声を聞きながら静かにすごしました。 言葉がないことが、少しも怖くありませんでした。むしろ、一緒に同じ風を感じ、同じ景色を見ているだけで、心の深いところでガッチリとあく手をしているような、そんなふしぎな一体感があったのです。
鎌倉には「おすそわけ」という素敵な文化があります。 たくさん採れた野菜や、作りすぎたおかずを近所に配る。それは、単に物をあげることではありません。 「今日も元気かな?」「最近どうしてる?」という、言葉にできない見守りの気持ちを、野菜という形にして届けているのです。
まとめ:一人旅のあなたを、誰かが待っています
もしあなたが、「誰かと心を通わせたい」「本当のやさしさに触れたい」と思って、一人で旅に出ようとしているなら、ぜひ鎌倉の農はく(農家に泊まること)に遊びに来てみませんか?
ここでは、あなたが流ちょうな日本語を話せなくても、有名人じゃなくても、一人の大切な人間として受け入れてくれる場所があります。
えんがわにすわって、のんびりと庭をながめてみてください。 きっと、近所の誰かが「いい天気だね」と声をかけてくれたり、美味しいおすそわけを届けてくれたりするはずです。
言葉はいりません。ただそこにいて、同じ空気を吸うだけで、あなたの心はまほうにかかったように温かくなるはずですから。
ちぇーずーてぃんばーでー(ありがとうございました)!
