鎌倉農泊協議会

鎌倉時代の主役! 源頼朝を知ろう!

本日も鎌倉農泊協議会ブログを見て頂きありがとうございます。

今回の鎌倉農泊協議会ブログは源頼朝について知って頂こうと思います!

前回のブログでは美味しいそうな朝食特集でしたね(; ・`д・´)
僕自身朝が強い方ではないので、完璧な朝食を食べて一日をスタートする事は理想でもあります…
皆さんも是非まだ見ていない!そんな方は是非チェックしてみてください(*´Д`)
エスニックな朝ごはん

さて皆さん!一度は【源頼朝】この名前は聞いたことは勿論ございますでしょうか?
なんといっても平安時代~鎌倉時代の主役とも呼ばれています。
約150年続いた鎌倉幕府を開きました。
前回のブログ歴史コーナー特集しました。1192作ろう鎌倉幕府です。
鎌倉幕府に関してはこちらを参照ください!
1192作ろう鎌倉幕府

鎌倉幕府の初代征夷大将軍になったことから武士のための政治が出来るようになり、新たな幕府の仕組みを作ったともされます。

頼朝の父である源義朝が平治の乱で平清盛に敗れてしまい、殺されてしまったことから頼朝は平家を倒すことを考えました。
簡単に言うと父親が殺された復讐ですよね。かたきを討つ姿勢があったからこそ頼朝は平家を滅ぼすことができ、武士が中心となる政治を進めることができたと考えられます。

しかし後に弟の義経とはライバルのような関係になり鎌倉に入ることを禁止し、自害するよう求めるなど家族間でも問題は起こっていました。

必ずしも成功と勝利をしていたわけではない源頼朝の人生はとても興味深いと思いますが、なにしろ日本の歴史は長い故に分かりずらくもあります。

そんな歴史を知りたいけど難しそうと感じているみなさんに今回は、強さと頭の良さに魅了された筆者が分かりやすく源頼朝の人生を解説すると共にすごさをご紹介いたします。

・源頼朝のプロフィールを紹介!

誕生日:1147年5月9日
没日: 1199年2月9日
生地: 尾張国
没地: 神奈川県鎌倉市
配偶者:北条 政子
埋葬場所:法華堂跡(神奈川県鎌倉市西御門)
    :白旗神社(神奈川県鎌倉市鶴岡八幡宮境内)
    :矢ノ森八景(岩手県一関市東山町)

・源頼朝の生まれは?

1147年5月9日、父源義朝と母由良御前との間に三男として誕生しました。

父の源義朝は清和天皇という平安時代に在位していた第56代天皇の家系であったとされており、源頼朝も天皇の子孫でした。

ちなみに源頼朝は幼少期、「鬼武者」や「鬼武丸」などと呼ばれていたそうです。なぜそう呼ばれていたのかははっきりしていないようですが、なんだか強そうな感じがしますね。

また異母兄弟で源頼朝と共に平家を倒した源義経は現代でも物語として語られるほど有名な「牛若丸と弁慶」の「牛若丸」と幼少期は呼ばれていました。

・源頼朝の性格は?

源頼朝は非常に冷酷な人物だったとされます。その理由としては、自分に反発しようとする者は兄弟であろうと親戚であろうと迷うことなく自害を求めたり殺害をしているところからだと思われます。

実際弟の源義経も当時、頼朝を良く思っていなかった後白河法皇と仲良くしたとされ自害を求めており義経は自害しました。

また頼朝は質素倹約な生活をしていたようで側近が派手な生活をしていると怒ったという話もあります。
自らも質素に生活をし、なおかつ身内であろうが忖度をすることなく政治を行っていたため全国の武士からの評価も高かったのでしょうね。

・源頼朝の死因は?

1199年2月9日に51歳で亡くなった源頼朝ですが実は死因ははっきりとしておらず所説あります。

死因として考えられているものとしては落馬説・糖尿病説・溺死説・暗殺説などがあります。

しかしいずれも決定的な証拠はなく、現在でも分かっていません。
幕府を開くほどすごい権力を持っていた源頼朝の最期がはっきりと分からないのはとても不思議ですよね。
歴史上の偉人達の死に関しては今では解明できない真相があるかもしれませんね…


・源頼朝は何をした人なの?

①【封建制度を開始!】

鎌倉幕府が開かれるまで貴族や寺社以外には自分の土地というものがありませんでした。

「どんなに土地を耕してもどんなにいい作物が出来たとしてもその土地は国のもの」という風になれば当然、武士たちの不満は出てきますよね( ;∀;)

そのため源頼朝は封建制度なるものを作り御恩と奉公という関係性を作ったのです。

簡単に言えば幕府のために活躍してくれた家来(御家人という)には土地を与えたり敵から身を守ってあげたりします。

その御恩をしてもらうために家来たちは必然的に幕府に貢献しようと勤勉に働くのです。

お互いに頑張れるように!現在の会社の様な関係図ですね😭

幕府と家来たちが互いにメリットになるように作られた封建制度はまさに武士中心となる政治になった制度です。

②【守護・地頭を置き治安を改善】

源頼朝が作った制度として有名なのが守護・地頭です。

守護は現在でいう警察のような役割を果たし、反乱を行おうとするものを捕まえたり殺人を犯した者を逮捕していました。

一方の地頭は年貢の取り立てや土地の管理をしており幕府は安定的にお金を調達することが出来ました。

現在の行政機関の起源ですね( ゚Д゚)

守護・地頭を設置することで幕府に反抗してくる人間を素早く見つけれると共にお金を継続的に管理できることから鎌倉幕府だけでなく室町幕府でも利用された制度となっています。

・源頼朝にまつわる都市伝説・武勇伝

【4度の浮気で北条政子激怒】


当時の時代からいえば一夫多妻制はよくあることではありました。しかし北条政子の嫉妬は凄く浮気がある度に怒られていたとされます。

そして恐ろしいことに北条政子は家来に浮気をした女性の家を破壊せよと命令したこともあったようです(;´・ω・)

源頼朝はこれに激怒したとされますが、懲りずに以降も女性と会っていたそうで現代でいえば浮気性となりますね( ゚Д゚)

・まとめ
ここまでお読み頂きありがとうございます!
源頼朝がどの様な人物で何をしてきたのか…少し知って頂けましたら幸いです。
意外と冷酷な人物でありながら、自分をしたってくれる家来へに情は厚く
より良い世の中を作り上げたいと一心の人物でしたね。
北条政子の支えもありながら、鎌倉時代を作りあげた人物です。
人生1度きり!何かここまで成し遂げる人間になりたいと心から感じました。

鎌倉を知る上では欠かせない人物ですので、興味を持ったかたはYouTube等で調べるとよりわかりやすいかと思います!
それでは次回の鎌倉農泊協議会ブログはmちゃんのカフェ紹介になります🙋
源頼朝は将来インスタ映えという言葉が誕生しカフェでパンケーキを食べる若者が急増しているとは想像もしなかったでしょう…
パンケーキ?なんぞや(;´・ω・)て思っているでしょう。。。。。
次回のブログをお楽しみに!

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